weekly business SAPIO 2000/3/16号
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                                      クライン孝子 TAKAKO KLEIN
                                             

《希薄な家族関係を立て直すためにも、家庭、学校、地域社会が一体となった真の教育が日本には必要》


 先のレポートでも書いた通り、約3週間の予定で日本に帰国している。
 で、今回の帰国の主な目的だが、実は、あるシンポジウムに参加するためだったのである。そのシンポジウムとは、社団法「日本弘道会」が主催し、文部省と日本道徳教育学会が後援する「弘道シンポジウム」。テーマは「日本人の忘れたもの」で、21世紀に入ってグローバル化やボーダーレス・エコノミーの時代を迎え、これからどう在るべきか、どうその生き方に立ち向かっていくべくか、とりわけ日本の教育は一体どうあるべきか、問題を定義し討論する、というものである。

 まずこの「日本弘道会」とは一体いかなる会なのか、手短に記述しておく。この会は約120年の歴史と伝統を持つ日本国最古の道徳を尊ぶ会である。創設者は幕末・明治時代、福沢諭吉や西周らと並んで日本の代表的知識人の一人として知られ、近代思想歴史に多大な足跡を残した倫理学者・西村茂樹。彼は幕末、佐倉藩の志士として国事に奔走し、維新後は明六社同人として啓蒙運動を展開するかたわら、文部省にあって道徳教育の推進に中心的役割を果たした人物で、それだけに会の性質はオーソドックスである。

 シンポジウムの期日は3月10日で、当日、「日本弘道会」会長の挨拶に始まり、中曽根文相の挨拶、評論家渡部昇一氏の基調後援のあと、コーディネーター1人を含めた4名により、約3時間にわたって討論が行われた。
 パネリストのメンバーは私を除いて皆大学で若者を前に教鞭をとっているそうそうたる大学教授陣である。それだけにさすがに各先生がたのご意見は立派である。もっとも一方では現実離れしていて、その意見に何一つ具体性がない。一瞬、これでは教育という名を借りた密室世界の仙人の集まりではないか、と思った。と同時に、このグローバル化という時代、日本の社会構造が経済を初めすべての面で変革する時期にあって、大学教育に直接携わり、若者たちを先導しているはずの教授という立場にある人たちが、実は日本でもっとも時代から取り残されていることを発見してしまった。
 例えば、とくに気になった点を2点だけ取り上げて見ると

1. テーマが「日本人の忘れたもの」であるから、自ずと懐古趣味的傾向を帯びるのはしかたがない。しかしそれにしても、日本人の忘れているものが、「毎朝仏壇に手を合わせる」とか「部屋に床の間があって、その床の間を背に父親が座る習慣がなくなった」というのは時代錯誤としかいいようがない。
 なぜなら、今や日本家屋の作りの大半はせいぜい夫婦とこども2人という核家族構成を対象としている。とくに東京のような大都会では、せいぜい2DKとか3DKの部屋に住み、できるだけ狭いスペースを効率良く利用しようとするから、「仏壇」も「床の間
」も余分なものとしてしか捉えられない。
 これはこの現代社会の女性権利拡張時代において、少子化対策として「生めよ殖やせ」の戦前思想を持ち込み、若い世代に押しつけて解消しようとするのと同じくらいナンセンスといっていい。その辺のセンスが日本の教育に携わる教授の地位にある人物たちにまったくといいほど認識されていない。

2. 家庭の絆を築くため親子、とくに父子との対話にこころがけるという提案も、同様に時代錯誤のセンスだろう。朝こどもの寝顔を見て出勤し、帰宅したころすでに寝入っているこどもの顔を覗いて就寝する企業戦士である父親。その疲れ切った父親に、このような要求をする方がどだい無理というものである。
 しかも、一日中会社のために身を粉にして働き、一家を支えている父親と、家庭にある妻子との絆は年々薄れている。父と子ばかりでなく夫と妻との対話さえ難しく、成立し難くなっているのが現状だ。
 例えば、最近東京の中央線沿線では頻繁に飛び込み自殺が起っているという。その多くは、リストラの対象にされ失職した部長クラスや中小企業の社長など中年男性(中央線にこうした飛び込み自殺が多いのは、この中央線沿線に現在の中年男性が構えた家が多くあるからとのこと)で、彼らは飛び込み自殺を図ることで、妻子に保険金を渡し、家族が路頭に迷うのを防ぐという。
 モノの豊かさだけを知って贅沢に慣れ切って育った妻子には、夫が、父がリストラに遭ったり、自分の会社が倒産すれすれの窮地に陥っても、その窮地や立場が理解できない。それどころか、それまでの生活レベルを落としたり、思い切って生活を切りかえることが出来ないまま、いたずらに夫や父を責めたてる。その挙句、大の男が家族の無理解に苦しみながら死への旅路を急いでしまう。

 実はこうした社会現象の下にある教育こそが問題なのだ。
 そうならないために、家族は常日頃どうすればいいか。窮地に置かれたからといってすぐ自殺するようなひ弱な人間教育をしてはならない。どのような窮地に陥っても、最後まで互いに家族間で協力しあうこと。ゼロに立ち戻ってやり直す覚悟をもつこと。そのためには、家庭、学校、地域社会が一体となって、真の意味での強靭な人間を作っていくことができるよう、幼児のころから、耳が痛くなるほど、そのことをこどもたちに教え込むことだろう。

 したがって、今日本人が忘れてはならないのは、こうした危機状況における自己管理能力、つまり人間関係=家族関係であると私は思う。

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