weekly business SAPIO 2000/6/1号
□■□■□■□ デジタル時代の「情報参謀」 ■weekly business SAPIO □■□■□■□
                                      クライン孝子 TAKAKO KLEIN
                                             

《日本も全てが紙で出来たパビリオンを出展するハノーバー万国博で科学と環境の共生を考えた》


ドイツでは今年キリスト生誕2000年を記念に初の万国博覧会が開催される。開催地はハノーバーで、開催期間は6月1日から10月31日までの4か月間である。

 開催を1週間後に控えた5月24日、全ドイツから約1500人のジャーナリストが招待を受け、会場に赴いた。そのシナリオが込み入っている。南から北からそれぞれ5本の超特急ICEに乗車したジャーナリストたちが、一斉に、万国博用に着工したという「ハノーバー万国博」駅(まだ無人)で降りて会場に向かうというものだ。
 会場ではハノーバー万博の仕切り役としてその辣腕をふるったブリギッテ・ブロイア女史の記者会見が行なわれた。まだ事中でもあり、開催日までに間に合うかどうか。危ぶんだ記者の一人の質問にブロイア女史は「間に合う」と回答していた。

 とにかく広い。約160ヘクタールの会場に170を超える国や会社、団体が「自然・環境保護」という今万博のテーマに挑戦し、それぞれお国自慢の芸を披露している。

 日本館は、タイ館やシンガポール館の隣り、西側パビリオンのちょうど中央に作られた。自然保護と環境というテーマに沿って、日本館は屋根には防水・防火加工を施した紙膜が張られている。実はこれ、再生紙で作られたパビリオン、つまり全体が紙でできているのだ。中を見るとその再生紙屋根を細い紙の管が格子状に組まれて支えている。長さ90メートル、巾45メートル、高さ15メートルで、万国博会場の上を通るケーブルカーから眺めると一際目立ち、日本館の白い半円の屋根がくっきりと浮き上がっているように見える。博覧会終了後、この再生紙は、ドイツの小学校の教科書やノートに再生され使用されるという。
 環境保護にはことの外敏感なドイツ人である。この館が話題を呼び、見学していたジャーナリストの中からは歓声の声が挙がっていた。親しい仲間の一人であるユダヤ人ジャーナリストも、「日本の文化に少しでも理解のあるものなら、感動するに違いない」と語っていた。

 この他では、何といってもこの万博の目玉といわれるテーマパークが見ものである。テーマパークはちょうど会場の中心に位置するホール「9」にあり、「人類」、「環境」、「食料」、「未来の健康」、「エネルギー」、「知識」、「未来の労働」など11部門に分かれて21世紀への課題を提起している。

 ここでは、ついでにハノーバーという街と万国博についても手短に記述しておこうと思う。

 ハノーバーは日本人には余り馴染みのない都市だが、150年ほど前までこの一帯はイギリス領だった。なぜかというと、このハノーバー出身の王が1712年にイギリスに渡りイギリス国王を継いだことから、1714年から1837年までイギリスの管轄下に置かれていたからである。その後1866年プロイセン王国に編入され、1871年のドイツ帝国成立後は、ドイツの一部となり今日に至っている。
 というわけでハノーバーは伝統的にイギリス文化とは切っても切れない深い関係にある。だが今回どうしたわけか、そのイギリスは出展を拒んだ。かつてはイギリス領だったハノーバーで、元はといえばイギリスが旗振り役に回って開催されることになり、今日に至っている万国博が開かれるだけに、抵抗があったのだろうか。そのハノーバーは人口約53万人の中都市。偶然だが、ドイツ現シュレーダー首相の出身地でもある。

 さて、今回で第23回目に当たる万国博だが、その歴史は1851年、ロンドンで開催された第1回万国博覧会にさかのぼる。当時はハノーバー家の末裔であるビクトリア女王(夫はドイツ人)が采配をふるっていた時代で、イギリスは世界各地に抱え切れないほどの植民地を持ち、七つの海を制覇するという最盛期にあった。ビクトリア女王の長女がドイツ皇帝の息子(=皇太子)に嫁ぐというほど、イギリスとドイツの仲も良かった。ところが20世紀前半、この両国は、追い抜こうとするドイツ、追い抜いかれまいとするイギリスと、世界の覇権を争って敵味方にわかれ2度に及ぶ世
界大戦で戦いを交えることになった。
 今回、その半世紀後の21世紀という節目にあって、ドイツはイギリス王家とゆかりのあるハノーバーで初の万国博に漕ぎつけた。その歴史的意義は大きいといえるだろう。

 ちなみに万国博の開催地を国別で回数の多い順から列記するとアメリカとフランス各5回、イギリス、ベルギー各2回、オーストリア、カナダ、日本、スペイン、ポルトガル各1回と、欧州諸国が圧倒的に多い。その中で、有色人種国としては日本だけが1970年に万国博を開催している。その間約1世紀余り、世界はひたすら科学技術神話に期待を寄せて驀進した。日本はアジアの科学技術産業立国のトップバッターであった。だからこそ、日本はそのアジア経済発展に寄与するべく大阪で万国博を開催したのだ。
 事実あれから30年後の今日、当時からの日本の歩みを振り返ってみると、あの大阪万国博を機に、日本が世界屈指の経済大国として躍進したことがよく解る。つまり19世紀の終わり、イギリスの提唱で火ぶたを切った科学の進歩による経済発展は、1970年、日本で開催されて万国博によって、より高度な形で広域化が進んだといっていいだろう。

 ところがその科学偏重経済立国追求にはワナがあった。あくなきこの追求に自然環境破壊という課題が突きつけられることになったのだ。
 この自然環境破壊にブレーキを掛ける起爆剤となったのが、70年代後半からドイツで急速に広がった自然環境保護運動である。とくに1986年に起ったチェルノブイリ原発事故は科学偏重による自然破壊への警鐘を鳴らすきっかけとなり、一層自然環境保護への覚醒を促すことになった。
 つまり今回のドイツにおける万国博は、開催後初めてこれまでの科学技術偏重による発展を廃した画期的な試みであり、環境と科学そして人間との共生というテーマを21世紀の幕開けにしようというものなのだ。
 この万国博の総責任者に、これまで陰の存在としか評価されなかった女性を据えたことからも、ドイツ政府がこのハノーバー万国博を是非成功に導きたいと願っているその意気込みが窺えるというものである。

 ドイツは戦後50数年、東西に分断されていた。ベルリンに至っては、ドイツが統一するまで第2次世界大戦戦勝4か国の占領地だった。そのベルリンは、昨年ようやく首都に返り咲き、連邦議会もボンからベルリンへ移転した。ハノーバーはベルリンとは超特急ICEや車で1時間くらいの距離にある。この新装成ったベルリンへの観光も兼ねてハノーバー万国博に足を延ばしてみる、というのはいかがだろうか。
 とくに日本人にとっては円高・ユーロ安というこの機会は絶好のチャンスである。しかも7月25日は、ハノーバー万博における日本ナショナルデーに当たり、日本館では盛大な行事が用意されている。夏休みということもあり、パリやミラノでのブランドものショッピング楽しむをもいいが、21世紀の幕開けを前に日本が取り組むべき課題とそのヒントをとりこむために、是非一度、この万博に足を向けることをお勧めしたい。

--------------------------------------------------------------------------
発行 小学館
Copyright(C), 2000 Shogakukan.
All rights reserved.
weekly business SAPIO に掲載された記事を許可なく転載することを禁じます。
------------------------------------------------- weekly business SAPIO --

戻る