weekly business SAPIO 2000/7/20号
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                                      クライン孝子 TAKAKO KLEIN
                                             

《欧米の沖縄サミット軽視を招いた日本の政治家の資質を改めて問う》


今週末には沖縄でG−8サミットが開催される。福岡での蔵相会議、宮崎での外相会議を経て、ようやく本番の首脳会談が始まるわけだが、今やサミットがサロン化していることは誰の目から見ても明らかだ。

 オルブライト国務長官が、キャンプデービットにおける中東和平会談を優先し、宮崎外相会議を欠席したのも、サロン化した年中行事的なサミットと中東和平会談とでは、その外交の軽重がはっきりとしているからだ。そのためかクリントン大統領の沖縄訪問さえ、危ぶまれている。そこで日本経済新聞は14日付社説で「米“不在”が影落とした外相会合」という記事を掲載し、クリントン大統領の中東を重くみる余りの沖縄軽視姿勢にクギを指している。

 だが、「ちょっと待てよ」。
 日本側が沖縄サミットをことほどさように重視するのはよく理解出来る。しかし、米国のこの日本素通り、もしく日本軽視外交を指摘し、非難する前に、日本側にも反省すべき点がある、と私はいいたいのだ。
 その「反省すべき点」を、以下に列挙する。

1. 世界的視野に立って見ると、日本こそ、こと外交に関して、素通りかつ軽視外交の常習犯であり、張本人と見られている。
 その証拠に、これまで日本の首相、外相、蔵相を初めとした日本の閣僚たちは、年に一度、5月の連休を唯一の公式訪問の時期と心得て、あとは国会会期中という理由で世界の外交のオモテ舞台にはほとんど顔を出さなかった。また、自ら率先して海外に出て外交交渉をすることもない。それどころか、つい最近までは世界で開催される重要会議でさえ、首相はじめ重要閣僚達は、国会への出席を理由に平気で欠席してきた。そのことをご存知ないのだろうか。

2. 日本経済新聞の社説が主張するように、こうしたサミット会議にオルブライト国務長官が欠席し、またクリントン大統領の出席さえ危ぶまれる状況が、「(沖縄)反基地運動に弾みを与え、日米関係への影響も心配される」というのなら、なぜその重要性について(沖縄サミットを2週間後に控えた今月3日に起きた米兵による女子中学生への準強制わいせつ容疑事件を含め)、アメリカ当局にその旨、もっと強引に発信しないのか。
 アメリカの都合だから仕方がないと半ば諦め、その重要性を強調することなくおとなしく引っ込んでしまうから、相手もつい日本を軽く見てしまう。首にナワをつけてでもサミットの舞台に引っ張りだす。その気迫に欠けているのは日本側なのだ。これではアメリカにその沖縄の重要性が伝わるはすがない。軽視されて当然である。

3. サミットがサロン化しているということ事態は別にマイナスにはならない。なぜならサミットは、主要国首脳同士が顔を合わせてジョークを飛ばしながら親交を温める絶好の機会だからだ。その上二国間会談の場にもなる。
 ところが、日本ではこうした政治家ぐるみのイベントは場慣れしていないせいか、気負いすぎて間が抜けている。ぎこちなく、どこかセンスに欠けて中途半端なのだ。しかも形式主義が先行する。これではいくら主催者側が力んでみても、第三者から見ると退屈でつまらない、面白くないイベントとでしかない。

 宮崎ではオルブライト出席を記念して「オルブライト・ホール」がお目見えするはずだったという。だが、蔵相会議の会場となった福岡での厳戒体制が宮崎でもしかれていたとしたら、せっかくのサロン・ムードも台無しである。なぜなら欧米のいうサロン化とは、同時に、市民と一体化した和やかなものでなくてはならないからだ。
 いいかえれば、宮崎の外相会議は、オルブライト国務長官が中東会談を一時中断してでも飛んで来たくなるほどの魅力を備えていなかったということではないのか。
「実際に来て経験してみなければ分からない」というが、その退屈さにおいて、日本外交が変わり映えしないことは、これまでの舞台ですでに証明済みなのだ。

 それはさておき、ここからは話題を変えて、舞台をベルリンに移すことにする。
 ベルリンでは、対米(6月4日)、対ロ(6月15〜16日)、対仏(6月26〜27日)、対英(6月29日)、対中(6月29〜7月2日)との首脳会談に続き、7月10日と11日には、イラン・ハタミ大統領の公式訪問を受け、まさに千客万来である。

 イランのトップがドイツを公式訪問するのは、1967年のイラン国王レザ・パーラビ夫妻(当時)以来で33年ぶり。当時国王夫妻は、6月2日に西ドイツの首都・ボン訪問を終え、6月4日に西ベルリン入りした。ところが西ベルリンでは、国王夫妻の到着を待って大掛かりな学生デモが発生し、警察と衝突した挙句、死者1人、負傷者60人を出してしまった。

 この事件を踏まえた教訓に加え、
1) 1979年のイラン革命後、ホメイニ師の政治を嫌う多くの国王シンパがドイツに亡命していること、
2) その国王シンパ監視のために、イラン政府側が放ったスパイがかなりドイツ国内に潜入していること、
 から、ドイツの首都ベルリンでは、今回は、警察官4000人出動という異例の警戒体制を布いて、イラン・ハタミ大統領を迎えることになった。

 ところで、今回のハタミ大統領ベルリン公式訪問の動機としては以下の3点が挙げられている。

 一つは、半世紀にわたった南北朝鮮分断に、両国の会談実現でようやく和解の兆しが見られ、イラン革命後、北朝鮮との緊密な関係(西側へのテロ活動、武器供与、麻薬密輸)を続けてきたイランも、ここにきて西側との関係改善の必要に迫られるようになったこと。

 二つは、今年初めのイラン国会選挙でハタミ大統領の改革派が勝利したことでも明確なように、イラン国内でも特に学生を初めとした若者が、自由化を求め、西側との接触を切望していること。

 三つ目は、何よりも西側との接触で、経済交流の拡大の突破口にしたいこと。
 ちなみにドイツ・イランの貿易状況は、ドイツからイランへの輸出高が1993年の41億1000万マルクから1999年には22億マルクに、輸入高は1993年の13億3000万マルクから1999年は9億2000万マルクに減少している。

 というわけで、今回のハタミ大統領の訪独成果だが、具体的には、
1) 1991年以来活動停止になっていた合同経済委員会の再開
2) 対イラン政府輸出への保証の引き上げ(現行2億マルクから10億マルクへ)
3) 1988年両国で締結された文化協力協定による科学技術分野での交流推進
 ということになる。

 最後に、そのハタミ大統領は、ベルリンの11日の記者会見では流暢な英語を、さらに翌日12日の文化都市ワイマールでの演説ではドイツ語を駆使していたことを付け加えておきたい。日本も世界に恥ずかしくない人物を政治家に選んだ方が良いと思うのだが。

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