weekly business SAPIO 99/2/25号
□■□■□■□ デジタル時代の「情報参謀」 ■weekly business SAPIO □■□■□■□
                                      クライン孝子 TAKAKO KLEIN
                                             

◆帰国したニッポンは、やっぱり「歯がゆいサラリーマンの国」だった◆


1997年7月に日本とドイツの安全保障問題をテーマにした「歯がゆい国・日本」を出版して好評をいただきベストセラーになったのをきっかけに、1998年2月には日本とドイツの教育問題を、そして今年2月には日本とドイツのサラリーマンをテーマに「歯がゆいサラリーマン大国・日本」─なぜドイツ人は、不況にも動じないのか、充実した休暇・手厚い失業保険、豊かな老後……、ドイツにできて日本にできないはずはない─という第3弾目の歯がゆいシリーズを書き下ろし、その出版を記念に日本へ帰ってきた。

いつもは一人で帰国していた私だが、今回は夫と二人、つまり夫婦で日本へ帰ってきた。夫婦揃って日本へ帰ってきたのは13年ぶりで、どうなることか、恐らく口八丁な私たち夫婦のことだ。口ゲンカが絶えない、これは面倒なことになると思って心配していたのだが、あにはからんや、互いにおとなしくしている。

理由は簡単で、夫が一人で勝手に外出しあちこち飛び回っているからだ。つまり昔ほど私の手をわずらわせない。その夫の日本到着直後の感想を聞いてみると、「日本人が数倍ガイジンさんに親切になった。ひところ日本人は、今にも世界経済の担い手になると固く信じていたせいか、ガイジンさんをどこか軽蔑しているような感じがして居心地が悪かったものだが……」という。

それはさておき、その夫と違って毎年せっせと日本帰国を実施している私はあることに気が付いた。今年は堺屋太一経済企画庁長官の「やっと経済も底が見えてきて、今後は明るい見通しが期待されるだろう」という楽観的観測と違い、確かに景気は良くなるかもしれないが、これまでの不況の積み重ねがいよいよ庶民に浸透し、最悪の状態になっている。しかもこの最悪の状態から脱出するには、少なくともここ数年、もしくは数十年かかるのではないかと思う。

その根拠だが人々に表情が暗く活気がない。特に不況の犠牲者としてそのしわよせが中小企業主や個人商店主は当然としても、何よりも日本の最前線で働いているサラリーマン、とくに30代から40代のサラリーマンに寄せられていることである。

 ではなぜそうなのか。おもいつくままのその理由を列記すると、
1) これまで以上に、まるで雪崩を打つようにサラリーマンが抱き続けてきた終身雇用、年功序列、そして老後生活保障という三原則が崩れつつあることだ。そのため、多くのサラリーマンは何を人生の目的として今後生きて行くべきか、その目的を失って意気消沈していること。

2) 老人福祉や介助保険など社会保障を手厚くし弱者を救済すること、それ自体に何ら疑問をはさむわけではない。しかし、今それを支え、ひたすらその負担に耐えているのは30代から40代のサラリーマンで、その彼らに一体将来、その見返りがあるのかその保障がない。最悪の場合掛け損になるのではないか。

これらの不安にさらされ半ばヤケ気味になっている。そのため戦後日本のサラリーマンが高度成長の主軸となって支えてきた勤労意欲が低下しつつある。これこそ由々しき問題である。なぜなら、日本産業の衰退につながることはまちがいなく、いつか後悔する日がやってくるに違いないからだ。いいかえれば、国がこのまま中堅のサラリーマンの夢と希望を摘み取り冷遇していると、必ずその「つけ」が返ってくる。

これは、戦後日本の大半のサラリーマンが、ひたすら右肩上がりの経済成長を盲進したことで、今その「つけ」が回されて七転八倒しているのと同じ状況に陥ることで、国の興亡に拘わる致命的な「つけ」で、国を滅ぼすには刃物はいらぬ。サラ リーマンを締め上げればいいという最適な例でもある。

 こうした事態に至った背景だが、
その1)日本の戦後は利潤追求の経済繁栄にのみに重点がおかれ、政治や安全保障問題は二の次としてしか取り扱ってこなかった。そのため公正なバランス感覚に欠き、国際的な視点からの状況判断や処理能力を欠いてしまったこと。

その2)日本における国際的紛争といえば、明治以後日清、日露、そして日米紛争に限られて来た。一方、とくにヨーロッパではすでに2000年にわたって繰り返し、戦争に明け暮れて来た。そのヨーロッパは対立とその力のバランスの上に立って成り立ってきた。その底流にあるのは、たたかれても立ち上がって見せる“したたかさ”である。

 当然ヨーロッパのサラリーマンにもその血が流れている。産業革命以後ヨーロッパで発生した労働者と経営者との熾烈な対立がまさにそうで、これは第二次世界大戦後、ソ連を中心として東欧諸国に共産主義国家の誕生するや、いっそう鮮明になり、当然その影響をもろに受けることになった西側の労働組合の経営者に対する要求は盛りだくさんで、結果的にはサラリーマンの権利と生活向上につながった。

 ところが、日本ではその代わりに、多くの組合が“和”という言葉に置き換えられ労使協調路線を取り続けることになった。つまり、日本の労働運動では真の対立は生まれなかったのである。このためいざこの不安定な不況の時期に入ると、その脆弱さが一挙に露呈することになってしまった。

その3)ヨーロッパでは「ユーロ」の誕生でも明らかなように、ヨーロッパの戦後には半世紀をターゲットとしてヨーロッパ一体化という遠大なヴィジョンを持った政治家が次々と現れ、そのために力を尽くしてきた。

 ところが残念なことに日本では高遠なヴィジョンを国民に提示し導くはずの政治家がいたずらにローカル的利益追求にのみ捕らわれたこと、しかもサラリーマンを中心とした日本の国民が“和”を尊びおとなしくしすぎるのをいいことに、国民をミスリードしてしまった。しかもその政治家選出に手を貸したのが、何をいおう、サラリーマン自身だった。

 ではこうした従来の悪癖を一掃し、サラリーマンにとって安定した政策を政治家につきつけるにはどうすべきか。いうまでもない。政治家が血を流す革命的ともいうべき政策転換に乗り出すために、一票の重さをサラリーマン自身が自覚し、意を決して行動することだろう。それ以外、申し訳ないが当分日本には再生の道はないように思う。

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発行 小学館
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