weekly business SAPIO 99/5/20号
□■□■□■□ デジタル時代の「情報参謀」 ■weekly business SAPIO □■□■□■□
                                      クライン孝子 TAKAKO KLEIN
                                             

◆中国大使館「誤爆」直前 ― クリントン大統領のドイツ訪問で何が密談されたか◆


 どうやら5月5日と6日の両日、クリントン大統領がドイツ訪問を行なったころがユーゴ紛争のターニングポイントになったようである。

 既に先週の5月13日号で触れたことだが、よく注意して、5月5日と6日の両日にクリントン大統領が行なった談話に耳を傾けると、彼は実に意味深長な談話を発表している。一つはフランクフルト空港で行なわれた記者会見で、「ほぼ峠は越した。あとはじっくりと時間を掛けて仕上げていく」という言葉であり、二つめはシュレーダー首相とともにドイツが引きうけたコソボ難民の難民キャンプを訪れて、「あなたたちを必ず故郷へ帰す」と約束したことである。

 その談話に符牒を合わせるように、ボンでは高村外相が急遽予定を変更し出席することになった「G−7+ロシア」による緊急外相会議が開催され、それまでユーゴ(=ミロセヴィッチ大統領)寄りだったロシアが、かなりNATOに傾斜した。
しかもブリュッセルNATO本部でも、この日、コーエン国防長官をはじめ軍関係の大物の慌しい動きが見られた。

 さらに同日、ほとんどのマスコミ(とくに日本のマスコミ)が見落としてしまっていたことだったが、実はフランクフルトでは主要諸国の金融界や経済界の大物が一同顔を揃えていた。オモテ向きは午後2時より開催された「21世紀における新 しい金融展望」の出席ということだった。そして、欧州中央銀行ドイゼンベルグ総裁とソワイエ副総裁による欧州中央銀行定例記者会見に始まり、午後10時ごろまでドイツ連銀ティートマイヤー総裁、英国中央銀行ジョージ総裁、仏中央銀行トルシエ総裁やゲンシャー元独外相を始め金融界や経済界のお歴々が会場になった「フランクフルト見本市会議センター」に出たり入ったしていたのである。(アジアからもシンガポールと香港から大物が出席していた)

 というわけで、クリントン大統領のドイツ訪問だが、その真意を忖度すると、そもそもこの集まりは、世界の主だった政界や経済界、金融界の大物一同をドイツに集め、ユーゴ紛争に関して政治、経済、軍事という三面から具体的に、今後どう終戦へと展開指せたらよいものか、実は、その対策について話し合われたのではないかといわれている。

 クリントン大統領が帰国した翌日に、早くも終始セルビアに加勢してきた中国大使館が誤爆?されたというのも実に妙な話である。中国もセルビアと同様、チベットの人権問題を抱えているだけに、中国にとってチベット問題はアキレス腱といってもいいからだ。しかもNATOはその中国の弱みを知り尽くしている。

 いずれにしても、このクリントン大統領のドイツ訪問をきっかけとして、それまで空爆一本だったNATOの戦略がやや方向転換をしはじめ、これに新しく外交というカードが加わった。その延長戦上で、早くも空爆によって破壊しつくされたユーゴの復興をめざす経済界と金融界によるバルカン一帯の復興景気という青写真が見え隠れする。

 実はその仲介役を買って、東奔西走しているのがドイツの首相シュレーダーなのである。
 中国大使館誤爆で、まっさきに中国を訪問して心から深謝し中国側から好感を持たれたのがシュレーダーなら、そのユーゴ紛争の仲介役としてフィンランド大統領を前面に押し出そうとその労を取っているのもシュレーダーなのである。

 ところで、今回なぜフインランドがその仲介役として浮上したのか、不思議に思う方もおられると思うので手短にコメントすると、理由は3つあるといわれている 。
 一つはフィンランドはEUが一員であること。二つめはNATOには加盟していない(セルビアはユーゴ空爆以後、NATO嫌いで凝り固まっている)こと。三つめは冷戦中、西側(欧米諸国)と東(ロシア)にあって、うまく中立を保ってきただけに両方の心情をよく理解できるからだという。

 さて、このユーゴ紛争だが、日本ではNATOの空爆ばかりが大々的に伝えられ、ユーゴの非道行為については正確に伝えようとしていない。そのために、日本でアンケートを取ると空爆反対64%、賛成24%という結果がでるということだ。

 その日本人のために今一度、なぜ、NATO側がこうも強気なのかをのべておくが、その理由はユーゴの非道行為にある。例えばその非道行為とはどのようなものか、具体的に記述すると、次のようになる。

1) すでに50万人ものコソボ・アルバニア人が難民となって国外に追放されたが、その大半は老人、婦女子、子供である。
2) 男性の大半は人質としてセルビア軍隊と警察官に強制連行された。うち10万人が殺害され、4600人が処刑された。さらに行方不明の男性が10万人に上っている。
3) さらに、国外追放に遭った婦女子については、その半数はセルビア軍隊によって強姦されたというし、強姦後、殺害された女子も少なくない。

 こうした情報だが、セルビア側はNATOによる意図的なプロパガンダだと主張しているが、これらはすべて難民自らの体験談と彼らの目撃証言、それにスパイからの提供による証拠フイルムよって割り出された。

 ところで、その難民だが、4月末までのヨーロッパにおけるコソボ難民受け入れ数についても触れておく。その受け入れ数は、ドイツが圧倒的に多く9974人、次がトルコの5407人、フランス1777人、ノルウエー1732人、オランダ1039人、オーストリア811人、ベルギー676人、ポーランド635人、フインランド481人、スウエーデン444人、クロアチア188人、英国161人で、アメリカでは当面2万人を引き取ることにし、第一陣が5月6日にアメリカへ出発した。

 もっともその難民だが、ドイツではコソボ・アルバニア人だけでなく、セルビア人もすでにユーゴ紛争が開始された1991年から何万人と受け入れている。
 ここではその一人セルビアからの難民の声に耳を傾けてみようと思う。

「ぼくは91年まではベオグラードにいて、大学で法学を勉強していました。ところが、ミロセヴィッチが国の第1人者となって、セルビア主義を唱え初めてからというもの、ぼくはとっさに彼を危険人物としてマークした。そして彼に睨まれたらろくなことはないと思い、そうならないよう、弟といっしょにベオグラードを去りました。そしてぼくはドイツへやってきましたし、弟はオーストラリアに移住しました。

 一時、ぼくはベオグラードに残って反ミロセヴィッチとして戦う決心をしたこともあります。でもミロセヴィッチ側が巧妙なやり方で、反ミロセヴィッチ人間を抹殺してゆくのを見て、これは不可能だと悟り、断念しました。
 こうしてぼくと同じような思いで、ベオグラードを後にした二十歳から四十歳までのセルビア人は一九九一年から今年までに四十万人に上っています。
 彼らは皆、頭脳の優れたインテリでしたから、国としては計り知れない損害を蒙ったと思います。

 ミロセヴィッチという人間は蛇のような男です。ぼくのような反ミロセヴィッチ人間を殺害するのは朝飯前だったと思います。彼は世界中にスパイを送りこんでいるからです。

 見つからないようにするためにはどうするか。いろいろと考えた末、ドイツ人女性と結婚し、セルビア名を消してしまうことだと思いました。その上、ユーゴ国籍を捨ててしまえば、セルビア軍隊に召集される心配もありません。

 そのぼくですが、セルビア人ですから、本来なら国籍を捨てるようなことだけはしたくなかったのです。でも一方で、ミロセヴィッチにはぜったい協力したくないという思いもありました。
 ところが、不思議なことに、NATOがセルビアに空爆しかけたとたん、NATOの行為が許せなくなり、セルビアひいきになってしまいました。ミロセビッチが憎いからって、何も罪のない一般の市民まで、道ずれにして犠牲にすることはないと思ったからです。

 ベオグラードには年老いた母がいます。その母は、セルビア人であるばかりに空爆後は外国へ出られず助けようにも助けることができません。。
 それにベオグラードには多くのぼくの知人や友人たちが住んでいます。その彼らも、空爆前までは、いつか機会があったらミロセビッチを倒そうとその機会を窺っていたのです。

 でもあの空爆以後、一挙にミロセビッチひいきになり、彼に肩入れするようになってしまったということです。そういう意味で、ぼくはあのNATOの戦略“空爆作戦”は長い目で見て失敗だったと思います」

--------------------------------------------------------------------------
発行 小学館
Copyright(C), 1998 Shogakukan.
All rights reserved.
weekly business SAPIO に掲載された記事を許可なく転載することを禁じます。
------------------------------------------------- weekly business SAPIO --

戻る