weekly business SAPIO 99/5/6号
□■□■□■□ デジタル時代の「情報参謀」 ■weekly business SAPIO □■□■□■□
                                      クライン孝子 TAKAKO KLEIN
                                             

◆小学4年生で子どもを「職人」「中間管理職」「エリート」に峻別するドイツの教育に学べ◆


 突然、テレビ朝日「朝まで生テレビ」の出演依頼があり、急遽日本に帰国。今、この原稿を日本のホテルで書いている。
 さて今回の「朝まで生テレビ」(4月30日放送)の「テーマ」は「学級崩壊」である。 このことについては後述するとして、まずその日本滞在で気付いたことから話をはじめる。

 というのは、目下ヨーロッパで最大の関心事である「ユーゴ紛争」に関する日本のマスコミの報道姿勢である。性懲りもなくミロセヴィッチ大統領寄りの偏向ニュースを流し続けている。

 近ごろはドイツでもインターネットや衛星テレビで、日本の情報が収集しやすくなったから、日本の「ユーゴ紛争」に関する報道ぶりは、だいたい見当がついていたものの、これほどひどいとは思っても見なかった。

 その理由だが、
1)日本人にとってユーゴは地理的に遠い上、日本人がもっとも苦手とする人種やら宗教が複雑に絡みあっている地域である。マスコミ人間も「どうせ、俺たちだってわからないのだから、ましてや一般の市民など分かるはずがない」とたかをくく
っている。

2)元来日本人は昔から「判官びいき」である。そのために、欧米のNATO19か国が寄ってたかって小国セルビアを苛めているのを見ると、ついセルビアに肩入れした記事を書いてしまう。

 わずかに、これは的を得ていると思った「ユーゴ情報」といえば、5月12日号 「サピオ」誌上に掲載された「“発掘写真で読む”― バルカンのヒットラー・ミ ロセヴィッチ大統領を背後で操る女帝」だけのみ。それもそのはずで、そのレポーターたるや日本人でなくてイタリア人ジャーナリストだったからである。

 話は飛躍するが、だいたい、このところ日本の株価が順調に上がり続けているのでさえ、「ユーゴ紛争」という戦争景気に支えられている部分がないとはいえない。

 日本の景気は過剰設備、過剰生産、過剰雇用を抱え込み、まだ本格的に回復していないにもかかわらず、少し先が見え明るくなってきたというのも、そうした世界政治と経済が微妙に絡み合っているからである。このことを日本のマスコミは認識すべきだし、同時にマスコミ人間は日本人にこうしたこともきちんと知らしめる義務がある。

 もっともその日本のマスコミ界だが、今や戦後の平和ボケ環境とその教育の中で育った世代が第一線で活躍しているのだ。世界情勢に無知同様のマスコミ人間が巾を利かせていてもしかたがないのかもしれない。

 そういう意味では、近ごろ急に日本で深刻な問題として取り上られている「学級崩壊」シンドロームだが、そもそもそのルーツをさかのぼっていくと、戦後の日本人のあり方=教育と一枚岩になっていると言っていい。

 なぜなら戦後、日本は憲法をそのままにして、自衛隊という軍隊を創設するなどごまかしてきたからで、しかもそのごまかしを放置したまま今日に至っている。ここで、注意しなければならないのは、実はこのごまかしが憲法だけにとどまらないで、いつのまにか社会全体にその悪癖が浸透し、知らず知らずの内に子どもの教育にまで影響し蝕んでいることだ。(毎年5月3日の「憲法記念日」に続き、その2日後の祝日が「子供の日」というのは実に皮肉なことである)。

 バブル最盛期はその最頂点だったのであり、その崩壊によっていよいよそのごまかしが、長期的なヴィジョンを持たずして、いたずらに目先の利益だけを追求してしまった政治、飽くなき利益追求にのみに汲々としその路線をまっしぐらに疾走し挫折した経済等により一挙に噴き出してきたといっていいだろう!

 そういう意味では、今日の日本教育の崩壊とはまさにその延長線上にあるもので、起こるべくして起きたといって決して言い過ぎではない。同じ第二次世界大戦の敗戦国とはいえ、同じドイツでは見られない日本の兆候である。

 ではいったいそのドイツでは、戦後教育とはどのように処理されてきたのだろうか。
 ここでは主なものとして2点挙げておこうと思う。

1・敗戦国だったとはいえ、ドイツはその占領国の指示を敢然として斥け、教育はその国民の最重要課題として挙げ、従来のドイツの教育制度をそっくりそのまま踏襲してきたこと。
2・その教育制度とは、
a)能力主義を貰き小学校4年の段階で職人教育、中間管理職、エリートと3つのコースに振り分け、それぞれ適正に合った集中教育を行なう。
b)人学試験は行なわず(原則として入学希望の生徒には誰にでも門戸を平等に開く)、卒業試験のみを重視する。
c)その間再三適正試験を実施し、不適格者には留年または放校(コース変更や転校もふくむ)を、一方、優秀者には飛び級によって対処する。

 こうしたドイツの教育システムだが、1970年代に「教育の平等」のもと日本の戦後教育システムのように、能力を無視した教育機会均等制度を採用した時期が一時あったが、いずれも失敗に終わったことも付け加えておきたい。


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