weekly business SAPIO 99/9/30号
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                                      クライン孝子 TAKAKO KLEIN
                                             

《ロシアとイスラムとの対立が続く限りキルギス日本人拉致事件の解決は難航する》


 8月23日、キルギスで日本人鉱山技師4人がイスラム武装勢力に拉致されてから、早くも1カ月が過ぎた。キルギス政府は軍を出動させ、大規模な包囲作戦を展開して、人質救出に全力を挙げ努力するといっている。しかし事件後、一向に進展の配がないところを見ると、人質が無事解放されるまでにはかなりの時間がかかるのではないか。

 その理由だが、この拉致事件には、単にキルギス対イスラム武装勢力と日本という図式では描き切れない複雑な国際問題が絡み合っていると見ていいからだ。

 ではその複雑な国際問題とは一体何だろうか。その複雑な問題を歴史に照らし合わせて見ると次の通りになる。

1. アメリカを中心とした西側諸国とイスラム教圏との確執:

 中東にユダヤ人によるイスラエル国が建国したのは1948年であった。以後パレスチナ人のイスラエルからの撤退が始まる。これを不当として結束した中東諸国がイスラエルに「六日戦争」を仕掛けたのは1967年。結果はイスラエルの勝利で終わった。アメリカを初め西側諸国がイスラエルへの全面支援を惜しまなかったからである。以後イスラム教圏は敗北の屈辱を舐めるなか、再起の機会をじっと窺うことになる。1979年、ようやくその機会がやってきた。イラン革命でシャー王朝が倒れ、ホメイニ師が亡命先のフランスから帰国してイラン最高の地位に就くと、再びイスラム活動が活発化したのである。とくにイスラム原理主義者が力を盛り返し、周辺のイスラム教国にもこの原理主義が波及しはじめた。西側諸国は、イランによるイスラム革命の拡大政策の一環だとして警戒したものである。イスラム原理主義派の活動は過激で、中東諸国をはじめ西側諸国で頻繁に残忍なテロが発生し、やがて支持者を失っていく。
 とくに1989年「ベルリンの壁」崩壊をきっかけとして、旧ソ連圏が解体に向かい始めると、仇敵同士だったイスラエルとパレスチナの間で和平が成立するなど、和解ムードが広がり、急速に中東での支持を失ったイスラム原理過激グループは、追い詰められたように中央アジアへと逃げ込み、そのテロ活動の拠点を中央アジアのイスラム教圏内に移すようになった。

2. ロシアとイスラム教圏との確執:
 冷戦中、旧ソ連のもとで多くのイスラム教圏がその支配下におかれていた。そのイスラム教圏の国々が、新しく「独立国家共同体」(CIS)として出発することになったのは1991年、ソ連が解体しロシア連邦が成立した直後のことである。
このころからCISのイスラム教圏でイランじこみのイスラム原理主義グループが活発に活動をしはじめたのだ。
 1978年に旧ソ連に侵攻されたアフガニスンでは、ようやく95年、イスラム原理主義勢力がこの国を制圧して内乱が収まった。以後この国は周辺諸国の原理主義者のアジトとなり、テロ養成の場として提供されることになった。テロの陰のリーダーとしてアメリカからその行方を追及されているサウジアラビアの富豪ウサマ・ビン・ラーデイン氏もここを拠点としてテロ活動を続けたのだ。
 さらに96年にはチェチェン紛争が発生している。チェチェンがロシアからの独立を望み、ロシアはチェチェン独立を武力によって阻止しようとしている。チェチェンには石油の利権(チェチェンはカスピ海に通じるパイプラインの通り道である)が絡んでいるからで、ロシアはその利権を失いたくないのだ。

 こうしてみると、これら一連のイスラム原理主義によるテロ活動の標的が変化していることが解る。1980年代には西側を標的にしていたテロ活動が、昨年のケニアとタンザニアで発生した米大使館爆破テロを最後に、今年から急に、キルギスにおける日本人鉱山技師拉致、モスクワやペータースブルグにおける連続爆破テロ、チェチェン紛争の再燃など、ロシアを標的にしたテロ活動に切り替え始められているのだ。

 ではなぜ今、ロシアを標的としたイスラム教武装勢力のテロ活動が活発化しているのだろうか。

 一つは、ソ連解体後、民主化を標榜し西側から多額の支援を得てスタートしたロシアが、結局民主化は名のみで、政治家自ら私服肥やしにうつつを抜かしていたことが挙げられる。このため民衆の不満が募り、昔をしのんで旧共産党を支持する人々が増えている。実はその旧共産党が、イスラム武装勢力のロシア国内におけるテロ活動を密かに支援して現政権失脚を狙っているのだ。

 二つは、そのロシアは中世のころからコーカサスなどの南アジアを植民地としてしか扱ってこず、ロシア政府は当然のようにそれを武力によって支配しようとする。そうしたロシア人の高圧的な植民地意識にイスラム教圏は強く反発している。

 こうしたロシアの状況について、つい最近もチェチェンのマスハドフ大統領は週刊誌「シュピーゲル」のインタビューに答えて、「残念ながらロシアは棍棒でたたきのめしてしまう方法だけが、問題解決になると思っている。まったく予測のつかない国だ」とこぼしている。

 というわけで、キルギスの日本人鉱山技師拉致事件とは、こうした煮ても焼いても食えない国を相手の国際紛争に巻き込まれてしまったのである。ロシアとイスラム武装勢力が対立してにらみ合いが続いている限り、この人質釈放はそう簡単に解決しないような気がしてならない。

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発行 小学館
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