クライン孝子   お知らせ

2000年6月10日

このところ、バタバタして、すっかりご無沙汰してしまいました。
皆様、お元気のことと存じ上げます。
 
さて、少し、なりを潜め、おとなしく?していましたのは、実はその間に本書きに夢中になっていたからです。
やっと、先週のなかごろだったかしら、仲良しの編集者から、電話連絡がありまして、ゲラ直しの段階に漕ぎつけたという通知が入り、ほっとしているところであります。
タイトルですか? また歯がゆいシリーズの一つでして、

 「歯がゆい日本国憲法」ー「なぜドイツは46回も改正できたのか」
 
出版社はいつもの通り、祥伝社 。 発売は7月10日です。

最近、日本では、やっと、政府も重い腰を上げて、憲法問題に真剣に取り組むようになったということで、このテーマに取り組んだのです。日本では、戦後、憲法はいつのころからか、聖域になってしまい、これに触れることはタブーでした。それゆえに一度も改正されることなく、半世紀が過ぎてしまいました。

ところがどうでしょう。時代は常に動いていたのです。とくに最近はIT革命の時代に突入し、その世界の動きはめまぐるしいばかりです。
とくに「ベルリンの壁」崩壊で、戦後、アメリカと四つに組んでいたソ連が崩壊し、また昔のロシアに復帰してからというもの、世界中でいろいろと混乱が起きてしまいました。戦後ソ連の傘下にあった東欧諸国などは、待ってましたとばかり、看板の書き換えやお化粧直しに夢中になったものです。それがうまく出来ずに消えた国もあります。
そんな中で、日本はそうした過酷な状況には至らずに済みました。それだけにこの事態を正確にとらえきれず「空白の10年間」といわれたりもしたものです。 もちろん憲法も安泰でした。ところが、今やそうもいっていられなくなってしまいました。
半世紀を経た今、その憲法も古くなって、今日の世界情勢の中で、ものさしが合わなくなっているからです。 
 
というわけで、今回は同じ第二次世界大戦で敗戦国となった日本とドイツですが、どうやら、かなり違いが見られるようで、とくにドイツでは、戦後日本が憲法に一度も手を加えなかったとのと違い、46回も改正し続けてきたことです。
それは一体どうゆう理由によるものなのか、拙著ではそれを解き明かすというものです。
 
発売直後、日本へ帰国いたします。ホテルはいつもの「虎ノ門パストラル」です。
ご連絡下されば、嬉しく存じ上げます。
 
ではごきげんよう!!

クライン孝子

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