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クライン孝子 ライブラリー

各雑誌、新聞などに掲載された過去記事を収録しました。


  サンラ 月刊「力の意思」掲載 拙稿です。
サンラ 22.7.07

欧州連合(=EU)の発足は一九五七年で、今年はベネルクス三国・フランス・西ドイツ・イタリアの6ヶ国の首脳がローマに集合し、ローマ条約に調印してちょうど50年目に当たる。その50周年記念式典がベルリンで今年新規に加入したブルガリアとルーマニアを含め二七カ国の首脳が列席して挙行されたのは三月二五日のこと。
創設者のアデナウアーとドゴールがもしこの世にいたら、感涙にむせんだのではなかろうか。議長国ドイツとしてはこれを機に、二年前オランダとフランスの国民投票によって拒否され、凍結されたままになっている懸案の欧州憲章成立を何としても実現に漕ぎ着けたかったようだ。
そのためにメルケル首相は、全加盟国同意に向けて細心の努力を払い、準備を行っている。
ところが、六月二一,二二日両日のEU本部ブリュッセルにおける首脳会談では英国とポーランドが最後まで抵抗し、またもや待ったが掛けられたしまった。
両国ともに国家エゴをむき出して憲法に同意せずと赤信号を出したからだ。
一時は決裂かと思われたが議長のメルケル首相のとりなしで、ようやく妥協点を見出した。

二二日早朝四時二四分のことで、朝まで討論した結果、最終的には、ポーランドの身勝手さに、堪忍袋の緒を切ったメルケルがポーランド抜きでの会談続行の意向を固めたのだ。
そのとたん、ポーランドが歩み寄ったというのだからいい気なものである。
一方、英国は先に同意の署名をしたにも拘らず撤回し、例外事項を設けることで英国の特権を要求している。英国はかつての七つの海を制覇した栄光から脱出しきれず、自国の思うようにならないと、必ず異論を挟む。
ならば脱退すればいいのに、そこが狡猾さで知られている英国特有の戦略で、EUに参加し内情を把握することで、得点を稼ぐというのである。創始者のドゴールは現役時代、英国のEU入りには、
「あの国は仲間に入っても必ず横槍をいれ内部撹乱に力を貸す」として、
「ノン」と頑なに拒絶したが、正解だった。

その英国に追随しているのがポーランドなのだ。今回ポーランドはEUの基本方針である「未来志向」という約束を破り、ドイツがポ
ーランドに一九三九年奇襲を掛けてこなければ、ポーランドの人口はもっと多かったはず。当時ドイツのために、六百万人の犠牲者を出したと非難し暗にEUにおけるポーラドの票が少なすぎると非難し、60年前の第二次世界大戦のナチスについて新たに記憶を呼び起こしドイツを貶めようとした。これには、EU加盟国の大半が失笑している。
ドイツはポーランドのEU入りにどれだけ貢献したか。
にも拘らず戦後、ポーランドが旧ソ連の占領下に置かれたその苦悩には一切触れず、ドイツを一方的に糾弾する。
だがポーランドは戦後のどさくさに紛れて旧ドイツ領三分の一を自国の領土にした挙句、約千万人のドイツ人を追放したが過去のこととして水に流した。
その上犠牲者にはそれ相応の補償を行った。復興資金として最も多い補助金を受け取っているのもポーランドなのである。最近ではEUの同意を得ずに、米国のMD施設建設にゴーサインを出している。それだけではない。
ポーランドは双子で兄大統領、弟首相ワンセットで、政界を牛耳っているのだが、EU首脳会議では、弟が再三会議を中断し携帯電話で兄に相談し会議の進行を混乱させている。これではゴネることで、またもやドイツやEUから補助金の増額を要求しようとしていると勘ぐられてもしかたがない。
もっとも、このような事態は計算済みとして、少なくとも表面上、鷹揚に構えてみせるところがEUの腕の見せどころである。でなければ海千山千の寄り合い所帯、とっくの昔に、氷解していたろうと…・

サンラ 21。06。07
第三二回目のサミットがドイツ・ハイリゲンダムにて開催されたのは六月六日から八日の三日間である。私もこのサミットにプレス人間として参加した。
開会四日前の六月二日(土)、開会式場に近いロストックの町でデモ隊と警官が衝突し、約千人の重軽傷者が出た(うち警官側の重軽傷は四三三人、デモ暴発組の重軽傷者五二〇人で、頭からつま先まで黒装束の「ブラック団体」の一人が逮捕され即決裁判で十ヶ月、執行猶予なしの判決を受けた)事件もあって、その警備の厳格なこと! 
会場周辺は警察と軍関係者とその装備で固められ、会場内はプレスと警備関係者以外は、一切出入り禁止だった。
ドイツの面子に掛けても、何事もなく無事にこのサミットを修了させようという、その意気込みが感じられるものものしい厳戒態勢で、さすがドイツ人である。
どうやらこのドイツサミット、大成功のうちに終了したようである。
今回サミットでのドイツの最大の課題は、環境先進国として地球温暖化防止対策を何としても、成功させることにあった。
とりわけドイツのはこの時期欧州議会(EU)の議長国でもあり、そのEUの総代表としてその重い責務を担っていたのだ。
最大の難関は米国の出方である。二酸化炭素排出量では世界一という不名誉な刻印を押されている米国だが、「数値目標」を盛り込んだ案には逃げ腰で、これまで「京都議定書」にさえ署名を拒んできた。そ
んな中で、今回もブッシュはサミット開催を前に、メルケルに「米国はこの問題には関与したくない」と伝えている。
ところがいざハイリゲンダムサミットでふたを開けてみたら、何とブッシュは最終的に「二〇五〇年までに温室効果ガスの排出量半減を検討する」と合意への道筋をつけてしまったのだ。ではなぜこの時期ブッシュは譲歩して見せたのか、理由はメルケル首相の手腕=戦略にある。
ではその戦略とは何か
一つはブッシュの鼻ずらで、ゴア前江民主党副大統領による地球温暖化防止策を支持している民主党ペローシ下院議長をベルリンに招き、女性同士のよしみで協調体制を築いて見せた。民主党優勢で押され気味のブッシュは、議会決議で民主党の協力は欠かせない。狼狽したブッシュは即ブレア英首相に相談、ブレアはメルケルの真意を確かめるためにベルリンへ飛んでいる。
二つは、イラン問題に絡み米国は、ポーランド北部に迎撃ミサイル十発を配置し、これを管理担当するレーダー基地をチェコに設置する計画をブッシュは強力に推進している。これに対しプーチンが猛反発し、欧州を視野にいれミサイルによる報復措置を宣言してみせた。メルケル首相はこの米ロ欧の緊迫した関係をかいくぐって米ロ両国の橋渡し役を買って出た。サミットという舞台を利用して米ロ首脳の顔合わせをセットし、アゼルバイジャンのレーダー施設を米ロ共同で使用するという提案を引き出し、このシナリオに沿って早速独仏国防相が米ロと接触し交渉に入っている。こうすることで、一先ず米ロ両国の関係の悪化を食い止めて見せたのだ。さて最後に決め手となった
三つ目とは彼女が物理専攻の自然科学者であること。それゆえ、科学的検証によって地球温暖化の危険性を、ブッシュを前に諄々と説き、その見識を披露して見せた。これにはさすがブッシュもお手上げで反論の余地がなかったといわれている。何よりもメルケル首相は英語とロシア語に強いことである。この武器を縦横無尽に活用しブッシュとプーチンをトリコにしてしまった。控えめだが、しなやかに相手を説得し、いつの間にか味方にしてしまう。いやはや利口な女性ほど手に負えないものはない。ましてや政治家においては…・

サンラ  22.5.07
仏で保守のサルコジがシラクの後任として五月十六日、大統領に就任した。
サルコジはその足で同日ベルリンへ飛び、メルケル首相に新任の挨拶を交わた。
こうすることで、EUにおける独仏両国の主導的役割を世界にアッピールして見せたのである。
それはともかく、両氏にはいくつか共通点がある。戦後生まれの上同年齢であるばかりか、サルコジの祖先はハンガリーの貴族出身。一九四五年、ソ連に自国が占領されるや、父は祖国を離れ、一時、仏軍占領下の南独に居を移したが、その後仏に亡命し、一九四九年ギリシア系ユダヤ人報学生と結婚したものの後離婚し、サルコジは母の元で苦労している。
一方メルケルは東西ドイツに分断されたなかで、牧師の娘として西独から東独へ移住し、そのイデオロギーゆえに精神的に言語に絶する苦痛を体験した。
この二人、偶然だがベルリンでは静のメルケル、パリでは動のサルコジという名コンビで今後意気投合しつつ政治に携わる。さて当のサルコジ新大統領だが電撃とも言うべき即決即断で組閣して見せ、新内閣の閣僚を発表するためふたを開けてみたところ、何とドイツのメルケル内閣と実に類似しているのだ。
主な共通点を挙げるとこうだ。
一つは女性閣僚を積極的に登用し、閣僚十五人中七人は女性(註:ドイツはメルケル首相を除き十五人中五人女性)である。 
二つは戦争を知らない第二次世界大戦後に生まれた閣僚が多く、価値観が変わったうえ若返った(註:閣僚平均年齢五四歳なうえ、離婚暦やシングルマザーが多い)。
三つ目は保守政党といえど、積極的に野党社会党の人材を登用し、野党懐柔を図ろうと社会党員でありノーベル平和賞受賞の「国境なき医師団」の共同創設者の一人クシュネル氏を外相(註:保守・革新二大政党大連立政権における外相は社民党出身)に抜擢した。

もっともこれはあくまでも表の顔である。
一方裏に回るとこれまでいざ国益となるとエゴを剥きだしにし小競り合いを繰り返してきた両国だけに凄惨極まりない。
今回も、さっそくサルコジはメルケルと独仏共同開発として手掛けてきた宇宙防衛産業企業(EADS)問題で密談している。
旅客機「A380」の技術ミスで納期遅滞が発生したため業績が悪化し、やむなく企業縮小と人員整理という難題が浮上し、目下、独仏両国ともに、その原因を相手のせいにしなるべく自国の犠牲を最小限に抑えようとしているからだ。

一体どちらに有利にことは運ぶか、今後のお手並みを拝見するしかないが、
今回は以前と異なり、かなり仏が歩みよるのではないかとの観測が流れている。
なぜか。
理由はこのところ、EUとロシアの関係が悪化しつつあるからで、サルコジ・メルケル会談後、EU委員長バローソとともに、ロシアのボルガ流域でプーチンとさしで会談したメルケルは、これにより仏独露三国の絆を築き、ポーランドとチェコにおける偵察ミサイル迎撃衛星施設設置問題で冷え切った米露関係の修復に乗り出そうとしたのだが、逆にロシアの人権侵害問題がこじれて物別れとなってしまった。

控えめ外交で知られるメルケルが、いつになく強硬にエネルギーを盾に脅しを
掛けるプーチンをものともせず、公式の記者会見の席上でプーチンを非難してしまったからだ。
これがもとで、伝統的な仏一流の対米強硬カードが切れなくなってしまったのだ。もっともこれについては諸説紛々で、所詮欧米は同じ穴の狢、出来レースではないかという。欧米露の仲違いで「漁夫の利」を占めるのは中国である。
そのために次の手を打つべく暫く中国の様子を覗うというのだ、真偽はさておき、一体どうなるものやら、野次馬としては興味津々である。      

サンラ 19.04.07
景気が後退すると人の気持ちまで落ち込んでしまう。社民党のシュレーダーが首相に就任したのは一九九八年。このころからドイツの景気は下降し始めた。連立の相手が「緑の党」だったものだから、ドイツ人の気持ちは冴えなかった。「左の政党が政権を取ればろくなことはない」という神話があるからだ。そのドイツ人が当時にはワラをもすがる思いで、期待を掛けたものがあった。それは何か? ユーロである。そのユーロの銀行間取り引きが開始されたのは一九九九年。そして二〇〇二年には待ちに待った紙幣とコインが市場に出回ることになった。人々はこの紙幣とコインが、少しは景気を底上げしてくれるに違いないと思っていたからだ。ところがその期待は見事に裏切られてしまった。とりわけドイツのユーロ失望は計り知れないものがあった。マルクがユーロの二分の一の価値に下がってしまった挙句、消費財の大半の値段をそのまま据え置かれてしまったからだ。これでは商品の値段が二倍に値上がりしたも同然。さらに悪いことが重なってしまった。翌年二〇〇三年にはイラク戦争が始まった。その戦争にドイツはフランスとともに反対した。これがブッシュ大統領=米国のご機嫌を損ねてしまったのだ。さっそく米国はドイツイジメに精を出す。せっかく一つに纏まろうとするEUの仲を割いて、古い欧州と新しい欧州という形で分断工作に手を染め、新しい欧州であるポーランドやチェコバックアップし、ドイツへの投資にブレーキを掛けた、そればかりか、ヘッジフアンドによる集中攻撃でドイツ企業を乗っ取り、嫌がらせを仕掛けたのだ。このころからドイツではあちらこちらで悲鳴に似た声がきかれるようになる。その応急策としてこの時期ドイツ人は出来るだけ財布のひもを固くしケチケチ辛抱戦で危機を切り抜けることにしている。やがて、春の時代が到来する。シュレーダー政権に代わり、二〇〇五年保守を基盤としたメルケル政権が誕生したからで、彼女は首相就任と同時に、ブッシュに接近し仲直り宣言をしてみせた。この効果はてき面だった。ようやくこのころからドイツの景気は回復し始め、国内経済の先行きももプラスに転じ、人々の表情にもようやく笑顔が浮かぶようになってきたからである。例えば欧州経済研究センター(ZEW)によると、四月中旬、約三〇〇人のアナリストと機関投資家を対象に国内の経済活動と金融市場の中期的な見通しについて尋ねたところ、過去五カ月の景気は上昇に向かっているという。その理由だが、先ず倒産にストップが掛けられ雇用の改善が見られること。従って失業率もここ数年十%以上だったのが、今年三月には九、八%になり、失業者数も一年前に比べて約八七万人減少した。設備投資も活発でその需要も伸びている。本来ならオイル高に加え今年になって付加価値税(VAT)の標準税率は十六%から十九%に引き上げられたことで、市民の購買力は落ちるのではないかと心配されたが、いざふたをあけてみると、逆に個人消費は高まっている。生産業も活気を取り戻し鉱工業生産に至っては、二月0.九%とプラスを記録、貿易においてもユーロ高もあり黒字幅はやや縮小しているものの、輸出は二月に比べ三月一.九%増と好調である。三月の企業景況感調査の結果も、今年の初めは悪化するのではないかとの観測が強かったが最近ではその予想を裏切り大幅に改善し、ドイツ経済は明るい材料揃い、楽観ムードが漂っている。何しろドイツの経済は欧州連合(EU)のバロメーターである。「ドイツ良ければEU良し!」というわけで、心なしか、昨今の欧州人はハッピー気分でわいている


サンラ 23.03.07
早いもので、私が欧州の土を踏んで、来年でちょうど40年目になる。最初に旅装を解いたのはスイスだったが、その一年後には念願のドイツへと向かい、フランクフルトに落ち着いた。ドイツの冬の寒さは覚悟の上だった。10月の半ばになると初雪が降り、その初雪は根雪のまま、その上に雪は三月まで降り続く。やがて四月になってようやく春を迎える。ところがここ2〜3年この例年の気候状況がすっかり変わってしまったのだ。先ず冬になってもめったに雪が降らなくなった。降ってもすぐ溶けてしまう。とくに今年はその暖冬の傾向が著しく、厳冬だったはずの2月に、何と四月に咲く花が咲く陽気ぶりである。長引くイラク紛争で、原油の高騰が続くなか、暖房費の節約が可能なのは大歓迎だが、一方で一体このままで地球は大丈夫なのだろうかと心配になってしまう。何しろ北半球が冬に当たる世界の2006年12月〜07年2月の平均気温は平年を0.40度上回り(速報値)、統計が残る1891年以降で2番目の暖かさになる見通しであり、過去最高は、97〜98年のプラス0.45度。世界の月平均気温は、06年12月から2カ月連続で観測史上最高を記録しているというのだから。そこで、欧州連合(EU)では、環境保護先進国ドイツの積極的な地球温暖化防止政策もあり、数十年前から、さまざまな対策を練りこの問題にはとくに熱心に取り組んでいる。とはいえ27カ国という大所帯のEUである。 国同士の利害や貧富の差が絡んで一枚岩になりきれない難題を抱え四苦八苦している。このような中、今回EUはドイツの活躍に大いに期待を掛けている。理由はこの国が環境保護国として過去そのイニシアテイブをとってきた業績に加え、今年はドイツが前半期EUの議長国であること、同時に独仏の提唱により半世紀前に創始されたEU創立50周年を迎えることでその活躍が期待されること、さらにサミットG-8開催の当番国であるからだ。そこで、ドイツではさっそく、ドイツ初の女性首相メルケル氏を中心に、これらドイツ発の三大行事を大いに活用し、21世紀の最重要テーマに「地球温暖化防止」を取り上げると宣明した。その手始めとしてEUでは二月二十日ブリュッセルにてEU環境相理事会を開催し、地球温暖化対策に関し17の項目による行動計画を採択し、地球温暖化の原因である二酸化炭素など温室効果ガスの排出についてEU全体で2020年までに温室効果ガスの排出量を1990年比で少なくとも20%削減する目標で盛り込むと同時に、先進国に対しても2020年までに30%の削減を求める声明を出している。さらに自動車燃料に占めるバイオ燃料の割合を10%以上とすることを義務化していることも合意した。これに続いて三月中旬、ドイツ・ポツダムでは主要8か国(G8)による環境相会議が開催され、気候保護とその経済効果に関する議論が続出し将来の環境保護産業とどう結びつけるか、特に発展途上国では新たに環境保護の義務が科されることで経済的発展にブレーキが掛かるのではないかとの懸念があるだけに、その融合策についても真剣に取り組み対策を講じることとした。このようなEUの対策に対応し早くも欧州の航空業界では、地球温暖化防止に取り組み始め、一部の航空会社では乗客に任意で環境負荷の大小に応じ追加料金の支払いを求める方針を発表したり、搭乗距離から算出した二酸化炭素(CO2)の排出量に応じた「環境料金」を支払う仕組みを導入し始めた。こうしてEUは環境にやさしい世界を築くためのレールを敷くことにした。世界の模範EUになるために。













  サンラ 月刊「力の意思」掲載 拙稿です。
さんら  23.02.07
「なぜ、ロシアが、いやプーチン大統領が一昨年はウクライナ、昨年はベラルーシに、オイル需要の重要な冬季に、天然ガスやオイルの値上げを迫って、抵抗するとパイプラインの栓をしめると嫌がらせて見せたのか」。その回答だが、これはあくまでも推測の域をでないものの、実はロシアと欧州連合(EU)による共同シナリオではないかというのがとうちのおける大方の見方である。つまり、その真意を忖度すると、エネルギーを持つ国ロシアによる単に持たざる国への恫喝と一くくりにできないものがあるというのだその理由だが、ロシア側の言い分では、ウクライナとベラルーシ両国ともに、欧州連合(EU)加盟の機を窺っており、それを良く思わないロシアはエネルギーを武器に阻止しようとしている。一方EU側はどうか。EUは今年ブルガリアとルーマニアが加盟し、今や二七カ国という大所帯になった。そのEUのホンネは、これ以上のEU拡大は回避したい。トルコのEU加盟が先送りになっているのは、この国がキリスト教仲良しグループではなくイスラム教国であることもさながら、実は、一端イスラム教国トルコの加盟を許してしまえば、次はモロッコやアルジェリア、チュニジアなどキリスト教圏と異なる国々が、いもずる式に加盟を申し出てくるのを恐れており、EUとしてもこれは困るのだ。EUにはこれと同様の気持ちをウクライナ、ベラルーシにも抱いている。結果、一連のロシアによるウクライナ+ベラルーシ嫌がらせや恫喝とは、EUとロシアが、テーブルの下で仕組んだお芝居ではなかったかと。真偽はさておき、そのEUの本心を忖度すると、「EU加盟、もうこれくらいでけりをつけたい」という。さてそのEUだが今年上半期の議長国はドイツが当番国である。EUにおいて、これまでもそして今後もドイツは主導的役割を担ってリーダーとしての立場にあり、それだけに、その存在感には言語に尽くせぬものがある。今年になってからというものドイツは早くも、連日の如く、ドイツの各地で重要な会議が開催され。その都度EUの大物が訪れ、口を揃えてドイツを賞賛する。イラク戦争でドイツが米国に背を向けて反対したこと、当時はかなり米国から嫌味を並べられ、非難され窮地に陥ったが、その後のイラク情勢と経過から、逆にドイツに対する国際的な評価が高まり、その分EUにおいて、いっそうの信頼を得ていること。とりわけ、ドイツのトップが女性であること、その女性がかつて東西ドイツ分断国家のころ、旧東独にて言論統制下の中にあって塗炭の苦しみを経験したこと、にも拘らずこの経験を謙虚に受け止め、実力を発揮し着々と地固めをし、米ロ両大国の信頼を勝ち得ているばかりか、中東やアジアにおいても一目を置かれている。そのためかEU委員長バローソなど最近、ベルリンにおけるEU首脳会議はむろん、EUブリュッセル本部やシュトラースブルグEU議会における演説をドイツ語で行うという。ドイツが統一した十七年前、いやつい十年前でさえも想像できなかったことである。何しろ当時EUの会議などでドイツ語を使用すると主張しようものなら、とたんに袋叩きに遭いかねない反ドイツムードが欧州に漂っていたからである。事実、元コール首相が欧州議会でドイツ語を公用語にするよう提案した時は、たちまち激しい野次に見舞われ立ち往生してしまったものだ。ところがどうだ。今やドイツ外交は世界の注目の的になっている。この勢いでメルケル首相は中断している欧州憲章成立に真剣勝負で取り組むという。さて結果はどうなるか。そのお手並み、ぜひ拝見したいものである。


サンラ8.12.06
ロシア連邦保安局(FSB)の元中佐リトビネンコがロンドンのホテルのすしバーで体調を崩し、死亡したのは十一月二三日だった。死因は放射性物質ポロニウムによるもので、英国当局は毒殺という表現を控えて怪死とした。怪死=毒殺直接の理由の一つは十月に入って、彼が念願の英国籍を取得したこと、その直後七日にプーチン政権に終始批判的だった女性記者アンナ・ポリトコフスカヤさんの殺害事件が発生、英国籍取得という喜びで気が緩み安心したのか、彼は、体調を崩す2日前に露情報機関が関与していたことを暗示する文書を密かに入手、さらにその文書を持参してイスラエルへ飛び、ここで亡命している昔の秘密警察の仲間に手渡している。この一連の情報が、彼がかつて所属していたFSBの耳に入らないはずがない。現時点ではあくまでも憶測の域を出ないが、今回の事件はその報復恫喝作戦であり、従来とは異なる新規の暗殺方法としてポロニュームを用いて、見せしめにした。その手段が効果的だったことは、英国がメデイアでこの怪死事件を大々的に取り上げてくれたことだ。そこには、かつて同じ釜の飯を食った昔の仲間同士による同志討ちの陰が見え隠れする。なぜなら、旧ソ連国家保安委員会(KGB)だが、一九九一年旧ソ連崩壊後、ロシアとして新しくスタートしたロシア連邦保安局(FSB)と名前は変えたものの実は秘密警察本体そのものは、たとえ、旧ソビエトが崩壊し、ロシアという名において民主体制が導入され、旧政治体制は姿を消すことになったものの、実は、その組織は無傷なまま存続を許されたからである。それどころか新体制移行において、必要不可欠な存在となった。ゴルバチョフ、エリツインを経て、プーチンが権力のトップの座を射止めるや、その傾向はいっそう顕著になっている。理由はいうまでもない。プーチンもかつては秘密警察の工作員であり、KGBに代わりFSBが創設されやその初代長官を務めた人物だったからだ。旧ソ連崩壊当時、旧東独におけるしがない秘密工作員でありながら、一躍ロシアの中枢に身をおき大統領に選出されたのも、かつての職務を縦横無尽に活用することが可能だったからである。これには旧東独秘密警察が大いに手を貸した一面も見逃せない。その返礼もあり、現在プーチンはドイツとの関係を密にし、シベリアの天然資源ガス供給を最優先している。そのプーチンは大統領就任後、秘密警察員を積極的に政界や軍部、経済界の要職に重用し政敵粛清に乗り出している。結果、FSBはプーチン=国内派=と現在英国に亡命中のベレゾフスキー=国際派に分かれ、水面下で熾烈な抗争を展開しているのだ。その最大の目標はシベリアに眠っている天然ガス利権にあり、国際派の代表ユコスの社長ホドルコフスキーは原油の対米直接輸出促進派であり、その道を閉ざすプーチン大統領への批判を展開し、プーチンの配下にある国営ガスプロムと対立している。そのため彼は禁固九年の実刑判決を言い渡されシベリア送りとなった。これを知ったベレゾフスキーなど一連の国際派新興財閥は、身の危険を感じ、多くは英国へ亡命していった。彼ら国際派には、米英の大手エクソンやBPの後ろ盾がある。米英両国政府も手を貸している。しかも、ロシアは二年後大統領選挙を控えプーチン=国内派と亡命派との攻防戦がさらに熾烈さを増しているのだ。今回起きたポロニュームによるリトビネンコ怪死事件とはこの延長線上にあって、国内派による国際派に寝返ったかつての仲間に対する報復がいかなるものかその見せしめのために起こるべくして起こった事件だったのである。


サンラ 23.1.07
日本の平均寿命は女子八五歳、男子七八歳と世界一。一方出生率もかんばしくなく、家庭を築いても一人っ子家庭が多く、このまま少子化が進むと西暦三二〇〇年には日本民族は絶滅という統計がでるほど深刻な状況に突入している。その少子化問題だが、これは何も日本のみならず欧州でも大問題に発展している。何しろ欧州連合(EU)における平均出生率は1.5であり、決して日本の少子化問題を他人事と言っていられなくなっているからだ。ドイツもそうで、出生率は1.3とこの国も少子化問題では四苦八苦している。つまり少子化は、今やEU全体の重要課題なのだ。ところがそのような人口減少傾向にあるEUの中で唯一、せっせと出生率向上に努め成果を上げている国がある。フランスである。何しろ昨年二〇〇六年の出生率は2,07と少子化対策ではEUの中で一歩先をいっているからだ。ちなみにベビー出生数に至っては約八三万人で、これは一九八一年来、二十五年ぶりの増加で、一昨年2005年に比べても2,9%増と一人の母親が平均二人以上の子供を出産している嬉しい結果が出ている。ちなみにフランスにおける昨年の死亡率は1.3で、死亡者数は五三万一千人。従ってフランスの人口は平均寿命女子八四歳、男子七七,一歳にも拘らず、人口は増加傾向にあり、このまま順調にいけば、、二〇五〇年全人口七五〇〇万人増が見込まれている。(現在六三四〇万人)。しかしそれにしても、産業先進国の大半が少子化問題を抱えているなか、なぜ例外中の例外としてフランスのみ高出産率という成果を挙げているのだろうか。何よりもフランスは他の産業先進国に先駆け、いち早く国の原点である人口対策に真剣に取り組んできた。最大のネックは、家族という概念を、現時点の尺度を合わせ、国策として取り組んできたことだ。1つは、家族像が戦後のある時期から変遷したこと。最大の理由は著しい女性の職場進出、さらに女性の職場における地位向上にあって、独立心旺盛な女性たちは、従来の男性中心の結婚像を拒み、出産を重要視しなくなった。もしくは出産を急がなくなった。ちなみに欧州での出産平均年齢だが、1977年二六歳だったのが2005年は30歳に上がっている。それだけではない。キャリアを目指している女性ほど、結婚しても、出産を忌避する傾向が強くなっているのはむろんのこと、パートナーとして共同生活をするものの、結婚届けは出さず、たとえ出産しても、シングルとして子育てをするケースが年々増加している。例えば、今回次期大統領として、社会党から立候補するロワイヤル女史もそうで、パートナーは同党の議員だが、結婚届けは出さず、シングルマザーを貫いている。今ひとつ、この国では、他のEUの国、とりわけアイルランドに比べカトリック教信者50%を割るカトリック嫌いの傾向が強く、従ってカトリックによる家族像の影響が少ない。そのフランスにて出産率における赤信号が出たのは1993年のこと。早速政府は事態を深刻に受け止め、従来の家庭・結婚像に囚われることなく一様に女性の出産対策、つまり女性の出産奨励のために、思い切った税金控除対策に乗り出し、国として積極的に手を貸すことにしたのだ。例えば働く女性のために保育所、家庭における保育看護士の派遣、産前産後における母親26週間、父親2週間有給休暇、一年間の育児資金月額750ユーロ支援、さらに3歳以下の無料託児所設置等々。社会的に目覚めた女性の出産である。かくも手厚い支援がないことには彼女たちは簡単に出産に踏み切らない。いやはや大変な時代いやその中に突入したものである。


さんら  23.12.06
「なぜ、ロシアが、いやプーチン大統領が一昨年はウクライナ、昨年はベラルーシに対し、しかもオイル需要の重要な冬季に限って、天然ガスやオイルの値上げを迫って、抵抗するとパイプラインの栓をしめると嫌がらせて見せたのか」。その回答だが、これはあくまでも推測の域をでないのだが、実はロシアと欧州連合(EU)による共同シナリオでは単ないかというのが大勢の見方になっている。つまりロシアのエネルギーを持つ国の、持たざる国への恫喝と一くくりにできないものがあるというのだ。 その理由だが、ロシア側にすれば、ウクライナとベラルーシ両国ともに、欧州連合(EU)加盟の機を窺っており、ロシアはエネルギーを武器に阻止しようとしている。一方EU側にすれば、今年ブルガリアとルーマニアが加盟し、今や二七カ国という大所帯に膨れ上がり、EUとしてはこれ以上のEU拡大はできるなら回避したい意向にある。トルコのEU加盟が先送りになっているのは、この国がEUのようなキリスト教仲良しグループではなくイスラム教国であることもさながら、実は、一端イスラム教国トルコの加盟を許してしまえば、次はモロッコやアルジェリアなどもいもずる式に加盟を申し出てくることになる。これは困る。ウクライナ、ベラルーシにおいてもこれと同様の気持ちをEUは抱いているのだ。一方ロシアもEU拡大でロシア勢力が削がれるのは回避したい。その一方でロシアもEUも、ともに良好な関係を維持していきたい。というわけで、結論として今回の一連のロシアによる一連のウクライナ+ベラルーシにおけるロシアの嫌がらせや恫喝は、偶然とはいえEUとロシアが、テーブルの下で仕組んだお芝居ではなかったかと勘ぐる向きがないではない。いすれにしろ、そのEUの本心とは、「EU加盟、もうこれくらいで勘弁してくれ」という風潮が大勢をしめていることは間違いない。さてそのEUだが今年上半期の議長国はドイツの当番である。EUでは主導的役割にあるドイツだけに議長国としての役割は重要で、今年になって早々、連日の如く、ドイツの各地で次々と重要な会議が開催されEUの大物が集結している。イラク戦争でドイツが米国の賛成方針に背を向けて反対したこと、当時はかなり米国から嫌味を並べられ、非難され窮地に陥ったが、その後のイラク情勢の経過から、逆にドイツに対する国際的な評価が高まり、EUにおいても一目を置かれ始めたからである。EU委員長バローソなどは、ベルリンにおけるEU首脳会議はもちろんのこと、EUブリュッセル本部やシュトラースブルグEU議会における演説は、ドイツ語を使用し始めているのもそうで、ドイツが統一した十七年前、いやつい十年前でも考えられなかったことである。EUの会議などでドイツ語を使用するというものなら、とたんに袋叩きに遭いかねない反ドイツムードが欧州の各国には見られたからだ。事実、前コール首相が欧州議会でドイツ語も公用語にするよう提案した時は、たちまちブーイングと野次で、立ち往生してしまったものだ。掻き消されたものだ。かきけされてしまったものだ。られたからである。にが、出向き、EUもこれ以上、仲間をふやしたくないという。その何よりもの証拠であるといえよう。るのは、hs手もの一つとしてのがではEUはもたない。そこで、のもも六個してくるのを避けているばかりではない。か、
トルコの。





サンラ8.12.06
ロシア連邦保安局(FSB)の元中佐リトビネンコがロンドンのホテルのすしバーで体調を崩し、死亡したのは十一月二三日だった。死因は放射性物質ポロニウムによるもので、英国当局は毒殺という表現を控えて怪死とした。怪死=毒殺直接の理由の一つは十月に入って、彼が念願の英国籍を取得したこと、その直後七日にプーチン政権に終始批判的だった女性記者アンナ・ポリトコフスカヤさんの殺害事件が発生、英国籍取得という喜びで気が緩み安心したのか、彼は、体調を崩す2日前に露情報機関が関与していたことを暗示する文書を密かに入手、さらにその文書を持参してイスラエルへ飛び、ここで亡命している昔の秘密警察の仲間に手渡している。この一連の情報が、彼がかつて所属していたFSBの耳に入らないはずがない。現時点ではあくまでも憶測の域を出ないが、今回の事件はその報復恫喝作戦であり、従来とは異なる新規の暗殺方法としてポロニュームを用いて、見せしめにした。その手段が効果的だったことは、英国がメデイアでこの怪死事件を大々的に取り上げてくれたことだ。そこには、かつて同じ釜の飯を食った昔の仲間同士による同志討ちの陰が見え隠れする。なぜなら、旧ソ連国家保安委員会(KGB)だが、一九九一年旧ソ連崩壊後、ロシアとして新しくスタートしたロシア連邦保安局(FSB)と名前は変えたものの実は秘密警察本体そのものは、たとえ、旧ソビエトが崩壊し、ロシアという名において民主体制が導入され、旧政治体制は姿を消すことになったものの、実は、その組織は無傷なまま存続を許されたからである。それどころか新体制移行において、必要不可欠な存在となった。ゴルバチョフ、エリツインを経て、プーチンが権力のトップの座を射止めるや、その傾向はいっそう顕著になっている。理由はいうまでもない。プーチンもかつては秘密警察の工作員であり、KGBに代わりFSBが創設されやその初代長官を務めた人物だったからだ。旧ソ連崩壊当時、旧東独におけるしがない秘密工作員でありながら、一躍ロシアの中枢に身をおき大統領に選出されたのも、かつての職務を縦横無尽に活用することが可能だったからである。これには旧東独秘密警察が大いに手を貸した一面も見逃せない。その返礼もあり、現在プーチンはドイツとの関係を密にし、シベリアの天然資源ガス供給を最優先している。そのプーチンは大統領就任後、秘密警察員を積極的に政界や軍部、経済界の要職に重用し政敵粛清に乗り出している。結果、FSBはプーチン=国内派=と現在英国に亡命中のベレゾフスキー=国際派に分かれ、水面下で熾烈な抗争を展開しているのだ。その最大の目標はシベリアに眠っている天然ガス利権にあり、国際派の代表ユコスの社長ホドルコフスキーは原油の対米直接輸出促進派であり、その道を閉ざすプーチン大統領への批判を展開し、プーチンの配下にある国営ガスプロムと対立している。そのため彼は禁固九年の実刑判決を言い渡されシベリア送りとなった。これを知ったベレゾフスキーなど一連の国際派新興財閥は、身の危険を感じ、多くは英国へ亡命していった。彼ら国際派には、米英の大手エクソンやBPの後ろ盾がある。米英両国政府も手を貸している。しかも、ロシアは二年後大統領選挙を控えプーチン=国内派と亡命派との攻防戦がさらに熾烈さを増しているのだ。今回起きたポロニュームによるリトビネンコ怪死事件とはこの延長線上にあって、国内派による国際派に寝返ったかつての仲間に対する報復がいかなるものかその見せしめのために起こるべくして起こった事件だったのである。





  読者からのお知らせ
クライン孝子様

 いつも日記を拝見いたしております。
 さて、さっそくですが4月2日の毎日新聞のコラム(筆者岩見隆夫氏)にクラインさんが産経新聞・正論に出稿されたものが引用されておりましたのでご案内いたします。
 
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/iwami/kinbun/

 今後ともご活躍ください。

  近聞遠見:外は一目置いている=岩見隆夫
近聞遠見:外は一目置いている=岩見隆夫
 能登半島地震が発生した25日、石川県選出の森喜朗元首相に、真っ先に見舞いの電話をかけたのは民主党の長老、西岡武夫だった。森の国会事務所まで足を運んだのは自民党の青木幹雄参院議員会長である。

 「これがワセダなんだなあ」

 と森は言う。3人は同じ時期、早大に在学していた。慶大ならこうはいかないだろう、というニュアンスもこもっている。

 政界にかぎらず、早大出身者は結束が固い。慶大はクールと言われるが、小泉政権時代は慶大閥が取りざたされた。

 その点、安倍晋三首相と同学の成蹊大卒は与野党通じ古屋圭司元副経済産業相1人だ。学閥を作りたくても、作りようがない。安倍政権のまとまりが悪い理由の一つは、案外そんなところにもあるのかもしれない。

 昨年9月末、初組閣を終えたあとの記者会見で、人事方針を聞かれ、安倍は、

 「政治は結果が大切、結果を出せる方を選んだ」

 と述べた。しかし、政権発足から半年が過ぎて、結果を出すどころか、足を引っ張る閣僚が目立つのに驚く。それが支持率を下げている。

 世論調査の結果をみると、世間は安倍の指導力にも懐疑的だ。頼りない首相と映っている。だが、外の目は違う。

 ドイツの有力紙「フランクフルター・アルゲマイネ」は、先に安倍が訪独した際、

 <安倍首相は、内政では戦後最大のがんだった教育基本法の改正にメスを入れ、国際テロや極東アジアにおける緊張の高まりに備え、防衛庁の「省」への格上げを実現した。

 また、日本でもようやく現代の凄惨(せいさん)な情報戦に対応し、日本版NSC(国家安全保障会議)創設の筋道をつけた>

 などと報じ、外交面の活動も高く評価した。

 ドイツ在住のノンフィクション作家、クライン孝子は、そうした現地の空気を、

 <(安倍は)日本の新しい国家像を内外に印象づけたわけで、欧州では戦後の日本の首相としては珍しく大胆かつ斬新な政治家として、一目置かれている>

 と伝えている。(17日付「産経新聞」)

 また、パリでは、防衛省に昇格した時の式典あいさつで、安倍がドゴール将軍(第5共和制初代大統領)の著書「剣の刃」の一節を引用し、

 「難局に立ち向かう精神力の人は、自分だけを頼みとする……」

 と述べたことがニュースになり、すこぶる評判がいいという。

 アジアでも、ある財界首脳が、

 「昨年秋の安倍訪中の前と後に中国に行ったが、空気がガラリと変わっていた。幹部が口をそろえて安倍さんを激賞する。こんなに急変するものかとびっくりしましたね」

 と言うように、安倍は人気者だ。

 米国とは慰安婦問題がこじれているが、4月の安倍訪米で調整されるだろう。同盟関係が揺らぐようなテーマではない。

 総じて、国際社会での安倍は、好感度が高い。しかし、国内の目は厳しく、とても一目など置かれていない。この温度差は何に起因するのだろうか。かつて、

 <戦後、一国民主主義、一国繁栄主義、一国平和主義、まとめて一国とじこもり主義が日本の常識の主流であった>

 と批判したのは、政治学者の京極純一である。いまもその性癖が日本の世論を偏狭にしていないか。そろそろ、とじこもりでなく<世界のなかの日本>に開眼する時ではないか。(敬称略)

   ◇

 しばらく休載します。外の空気を吸って、<世界と日本>を考えてみるつもりです。

 ◇編集局から

 岩見隆夫本社特別顧問は31日をもって退職します。4月以降は客員編集委員として活動し、「近聞遠見」は7月から再開します。

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 岩見隆夫のホームページはhttp://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/iwami/kinbun/

毎日新聞 2007年3月31日 東京朝刊

バックナンバー 一覧

3月31日 外は一目置いている=岩見隆夫
3月24日 三木生誕百年と「あの事件」=岩見隆夫
3月17日 「ケータイ政治」の軽さ=岩見隆夫
3月10日 首都決戦と「しゃべり方」=岩見隆夫
3月3日 「煮込むと具がスープに」=岩見隆夫



  経済界07.1〜2
経済界 2007・1

恒例の世界経済フォーラムの年次総会がスイス・ダボスが開催されたのは一月末のこと。この開会式にドイツのメルケル首相が出席し講演を行った。 

今年上半期ドイツは欧州連合(EU)の議長国であり、さらに六月開催のG8サミットの当番国である。それだけに彼女の発言は世界にとって重みがある。その彼女のダボス発言だが、いったい何が飛び出すか、世界の関心を集める中で、環境問題を取り上げた。ドイツは環境先進国である。世界で最初にこの問題に取り組みメスをいれ、国家サイドでも力を入れてきた。

しかも彼女はコール政権時代、環境相に就任し、既に30数年前からこの問題に取り組み環境先進国としてその名をほしいままにしているドイツにふさわしく、この問題に深く関わり貢献したものだ。彼女が21世紀の重要課題として環境問題を取り上げるのは誰しも予期していたkとだ。それだけではない。次のような背景がありお膳立てが既に整っていたことも挙げねばなるまい。

一つは偶然だがダボス会議の開会式直前、米国では任期が残り2年足らずとなったブッシュ米大統領の一般教書演説が行われ、ブッシュはこれまで拒否し、無関心を装ってきた環境問題に始めて言及した。

二つは新規にブルガリアとルーマニアがEUに加盟し27カ国にり、環境悪化はさらに進行する。

三つは、環境問題具体策として、EUにおいて二酸化炭素(CO2)の排出量削減を義務付ける草案が浮上してきていることを挙げねばなるまい。

とりわけ後者のEUにおける法案だが、EUは05年2月に発効の京都議定書によると、2008年から2012年におけるCO2排出量を、1990年の水準から平均8%減らす義務を負うことになっている。ところが、実態は道路輸送により域内の排出量に占める割合は20%を超え、うち半分以上は乗用車によるという結果が出ている。しかも残念なことに2004年時点での削減率は12.44%にとどまったままなのだ。

そこで欧州委員会ではこのペースでは目標達成は困難と見て、乗用車のCO2排出量を法的に規制する方針を打ち出した。、市場で販売される新車に関して平均排出量を2008年までに1キロ走行当たり120グラムまで減らすよう義務付け、未達成の場合は制裁金などを科す方針で、三大自動車工業会=(欧州、日本、韓国)にCO2削減の自主目標を設定し来年までに1キロ走行当たりの平均排出量を140グラムに抑える方針を、また日韓両国に対しては1年遅れ乍らその実施を提示した。これにより旧加盟15カ国で販売される新車のCO2排出量を1995年当時と比べ25%減らすことが可能になる。

ところがこの規制に真っ先に反対を唱えたのが何と環境先進国ドイツというから皮肉である。この法制化でドイツでは自動車業界の足を引っ張ると警戒しているのだ。さっそく大手のダイムラークラスラーでは、6万5千人もの従業員解雇を予告し、他の自動車業界も追随すると心配する。あちらを立てればこちらが立たず。さてこの顛末どうなるものやら。


経済界 21.2.07

「一寸先は闇」とはよく言ったものだ。「空飛ぶホテル」と銘打って大々的に宣伝し、世界各国からその優秀な技術とデラックスな機能を買われ一時好調な受注で、嬉しい悲鳴を挙げていたエアバス社製「A380」、このところ活力がない。完成間際に電気系統のミスが発見され納期が遅れたことで躓いたのがもとで、顧客から発注のキャンセルが続出したばかりか、損害賠償訴訟まで発生し、すっかり企業信用を落としてしまったから。笑いの止まらないのはボーイング社である。

エアバス社のミスはそのままボーリング社の点稼ぎになるからだ。元来、エアバス社創設の目的は、ボーリング社を追い越すことにあった。創設は1970年だが、一九八九年「ベルリンの壁」が崩壊し急ソ連が消滅するや、米国は一挙に「ユニタリズム」を標榜し肩で風切る勢いで疾走しはじめたの機に、この動きに反発した中近東や東南アジア諸国では、その米国に対抗する勢力として力のバランスを取る意味で、欧州、とくにEUに期待を寄せた。

旅客機もそうで、これに応える形で、エアバス社はボーイング社に挑戦した。スタートは順調だった。、ボーイング社を凌駕する勢いで右肩上がりの好景気に恵まれ、業績はうなぎ上りといわれたからだ。ところが意外なところでにワナが仕掛けられていた。多くの期待を集めていたA380の納期遅れが経営に陰を落とすことになったからだ。とりわけドイツは今や「泣き面に蜂」の境遇にある。なぜなら、ドイツはこれまでA380型の製造部門において主導権を握っていただけではない。

他の機種A350などもハンブルグ、ブレーメンを初め合計七箇所において製造しており、これらの機種もボーイング社の巻き返しに遭って企業縮小を迫られ、当面約一万人もの従業員が解雇の危機に見舞われている。念のために従業員数だが、全従業員約六万人弱のうち、仏二万二千人弱、独約2万人、英約1万人、スペイン約四千人であり、平均年齢41歳と若い。職種は製造部門36%、開発技術部門11.5%、販売部門52% その他となっているが、キーポイントとなる機密と思われる重要な分野はドイツが一手に引き受けて開発したものだ。

それなのに何ということか。ドイツにとって心外でならないのは、その決定権の多くを仏が掌握している関係で、せっかくドイツが主体となって汗水流して開発したノウハウが、経営危機を理由に、ドイツからの全企業撤退を画策し、そっくりフランス傘下におかれ、彼らの手に掌握されつつあることだ。これに猛反発したのはほかでもない、ドイツの政治家たちである。彼らはいっせいに立ち上がり、さっそく独通産相は、直接エアバス社の親会社EADS(欧州航空宇宙防衛産業企業)に圧力を掛けに不利な結論を出したばあい、EADSへの発注を見合わせると警告した。

第二次大戦後にあって敗戦国ドイツがフランスに歯向かうのは実に珍しい。そう、ドイツも、ようやく最近、戦後のくびきから解放され事項主張するようになったということか。良い傾向である。



経済界 23.01.07

ユーロのコインと紙幣が欧州でお目見えしたのは二〇〇二年のこと。当時ユーロの司令塔でありその本部「欧州中央銀行」=(EZB)フランクフルトでは、初代総裁ドイゼンベルグを先導役に、あちらこちらでに盛大な式典が開催され、私などせっせと会場から会場へとはしごをして回ったものだ。あれからすでに五年が経つ。

最初はなかなかユーロに馴染めず、財布からユーロのコインと紙幣を出す度びに、確かめるのに手間取ったものだ。何しろコイン八種類、紙幣六種類もあるのだから、紙幣はさておき、コインはどれもよく似ていてなかなか区別がつかず、現在でもよく間違え、店員に指摘されることがある。とはいえ、かつて欧州の象徴といわれたドイツマルクの影は跡形もなく、しかも今年に入るやユーロ通貨導入国にスロバ二アが加わり13カ国となったのを機に、他のEU加盟国もさらに追随する勢いにあり、EUに加盟していない欧州の国、とりわけセルビアなど旧ユーゴスラビア諸国では、独自の通貨よりもユーロを重用し、町の市場などではユーロでの買い物を優先し歓迎するありさまで、今やユーロの流通は当たり前になり、堂々と世界を闊歩している。

というわけで、最近欧州中央銀行では、現金の流通額に限ると断った上で、世界で流通している紙幣としてユーロがその総額において昨年末、初めてドルを上回ったというレポートを発表している。 

ちなみに昨年末、ユーロ紙幣の流通総額は6140億ユーロ(約92兆円)に上った。これに対し片やドルはユーロ換算で5880億ユーロ(約88兆円)に留まり、ユーロ通貨の存在感を、世界に知らしめることになったからである。とはいうものの、ユーロには1ユーロなる紙幣がない。従って、こと1ドル紙幣に関しては未だ世界では圧倒的な人気があり、ユーロ紙幣はその流通度においては適わない。

今一つ、欧州と米国の根本的な相違として米国では現金よりもクレジットカードによる利用率が高く、現金紙幣の流通は相対的に欧州に比べ低いことだ。それゆえ、各国の外貨備蓄においても、以前のようなドル一辺倒から脱皮しユーロへの比重が増す傾向にあるものの、その真の実力においてユーロはドルに及ばない。

EUは軍事力、情報能力はもとより、経済力、とりわけ株式市場の規模において米国の比でなく、ドルの通貨としての世界における信頼度には一方譲らないわけには行かないからだ。例えばイラク戦争の原因の一端が米仏間によるオイル獲得競争にあったことで、当時フセイン大統領はイラクの原油決済をドルからユーロに切り替えようとし、これが米国の怒りに触れ、結果イラクはほぼ米国支配下におかれ、中東からのユーロ追放とともにドルが復活した。

この事実を目撃しても通貨自体の強さという点ではユーロはドルと対抗するにいまだ力不足である。とはいえ、このところユーロ高で1ユーロ=158円という状況にあり、長期的な戦略という点でユーロの信頼度と重要性は日ごとに増しつつあり、この事実は無視できないで今日この頃である。


経済界  10.01.07

今年の欧州は暖冬で悲喜交々。原油の価格が昨年の同時期に比べ約三〇%値下がりしたものの、一方、雪に恵まれないスキー場は閑古鳥が鳴いている。とはいえ、世界のオイル需要に際限はなく、産油国にとっては笑いが止まらない。ロシアもそう。昨年のウクライナに続き、今年はベラルーシを標的にし、ロシアとベラルーシによるガス価格を巡る交渉では、ついにベラルーシが譲歩する形で、ようやく十二月三一日、今年0七年の供給価格は従来の約四五ドルから二倍以上の千立方米辺り百ドルとすることで妥結した。

もっともこの価格吊り上げに対抗してベラルーシは年明けの三日に入るや、ベラルーシを通過する欧州向けロシア産石油に大幅な関税をかけると公表し、今年一月から一トン当たり四五ドルと宣告した。この影響を受けるのはガス需要の四割強をロシアに依存している欧州で、このためEU欧州委員会は、ロシアとベラルーシの関係改善を図るために懸命に奔走している。それにしても、ここ数年のロシアの鼻息は荒い。

理由はロシアに位置するシベリアが、世界の三分の一を占める天然ガスの宝庫だからで、このエネルギーを武器に、ロシアは供給国への影響を少しずつ強めている。豊富なエネルギー資源をちらつかせつつ、供給国に対し脅しを掛けるというのだ。目下ロシアの最大の目的は、一九九一年十二月、ソ連邦解体と同時に新政府エリツィン大統領のもと、創設したウクライナ、ベラルーシなど十二カ国による独立国家共同体(CIS)との堅持にある。

理由はウクライナやベラルーシが、、欧州との接近を切望しているからで、欧州連合(EU)加盟に積極的に働きかけている。そこでロシアとしてはこれら同盟国に対し何とかロシア離れを食い止めようと、国の動脈である天然ガスをちらつかせるこ同盟国を脅し、その返す刀で、EUに対しては牽制している。第二次大戦後ソ連を中心に構築された軍事同盟ワルシャワ条約機構が消滅したのは一九九一年のこと、早速東欧諸国とバルト三国が新生ロシアから脱出し、EUに加盟し、ついで、北大西洋条約機構(NATO)に加盟した。ロシアとしては、これ以上のロシア離れはまかりならない。国防上のみならずさまざまな面でマイナスになり支障を来たすと判断したからだ。

そこでロシアはイデオロギーを捨てる代わりにエネルギーを武器に再び覇権国を目指し始めたのである。そもそも主要産業国が油田の採掘と開発に血眼になり始めた十九世紀半ばである。イラクもその一つで、当時石油の臭いを嗅ぎ取ったドイツは、オスマン帝国の覇者トルコにバグダッド鉄道の敷設権と沿線の油田開発権を認めさせた。これが既にこの地に進出していた英国の恨みを買い、その挑戦にまんまと引っ掛かり第一次大戦に突入、敗北した。結果石油利権はロシアをカヤの外においたまま、英仏米が独占した。これが仇となった。

百年後の今日、ロシアはそのツケを豊富な自己エネルギー産出で返そうとしている。世の中とはかくも皮肉だというその証拠をつきつけることで。




  Voice 07.
この年齢まで「生きていて良かった!」。
そう思うのは、四十年近く欧州の一角ドイツに在住し、欧州とりわけドイツを中心とした世紀の出来事をつぶさに目撃したからだ。

一つは一九八九年十一月九日の「ベルリンの壁」崩壊、
二つは、キリスト生誕二〇〇〇年の節目。
そして三つ目は、欧州統合=EUの総仕上げともいうべき新通貨ユーロの登場にある。
中でも、「ベルリンの壁」との出会いは、本来渡欧の動機が「壁」にあったから、その崩壊にあっては、奇縁を感じた。

「ベルリンの壁」が構築されたのは一九六一年八月十三日である。

この「壁」構築後七年目の一九六八年に初めて渡欧した私は、取りも直さず、スイス・チューリッヒで旅装を解くやベルリンへ飛び、観光バスに乗り、東ベルリンを訪ねた。
「ベルリンの壁」通過直前、東の警官が乗り込み、いきなり観光客全員のパスポートを取り上げてしまったこと、観光を終え西ベルリンへ引き返すに当たって、再び警官が乗り込み、今度は鏡のついた手押し車で、東からの逃亡者を検挙するためあちらこちらしらみ潰しに照らし捜索しこと。

その後西ベルリンで「ベルリンの壁」を見る高見台に上がったが、隣にいた中年のドイツ女性が、「何て酷い事を!」と言いつつはらはらと涙を流したことなど今も目に焼きついていて、思い出すことがある。
「自由」とはかくも素晴らしいものか、改めて噛み締めほっとした一瞬でもあった。
と同時に私は、「いつかこの『壁』の悲劇に迫ってみよう」と誓っている。

そして十七年後一九八六年、ようやく念願の拙著「自由買い」を上梓した。
「自由買い」とは、その名の通り、東から命からがら、自由を求めて西側へ逃げようとし、東の官憲に検挙され投獄された東ドイツ人を、西側が「買う」ことによって救出する制度である。この制度のウラで、実は教会が手を貸していたのだが、そこにたどり着くまでに、約三年半を費やした。
その「壁」が何とその三年後に崩壊したのである。

「壁」構築後二十八年間にわたって東西に引き裂かれ生き別れになっていた家族の再会が実現しただけではない。東西に分断された国家の悲劇がいかなるものか、ドイツ人たちは戦後四〇年余、その苦悩に堪え、ようやく克服したのである。歓喜はひとしおだった。

しかもこの「ベルリンの壁」崩壊が起爆剤となって、第二次世界大戦後旧ソ連の隷属下にあった東欧諸国が雪崩の如く西側の傘下に下った。西側には欧州連合(=EU)があり、EUが受け皿となり、これらの国を民主的な手続きにより温かく迎え入れたからである。それだけではない。本家本元の旧ソ連も崩壊した。
その延長線上にあってキリスト教圏の千年に一度というキリスト生誕二十一世紀の幕開けにあって、二千年以上もの歴史を持つ当地フランクフルトで祝うことができた。

しかも欧州統一のシンボルである新通貨ユーロが導入後、そのフランクフルトが、司令塔「欧州中央銀行」の拠点になった。
偶然とはいえ不思議な巡り合わせである。
これを「人生最後の幸せ」といわなくて何と言おうか。そう思う今日このごろである。




  自由民主05.7.5 若貴騒動に思うこと。メデイアを利用する姿勢
今回はメデイアばかりでなく、このメデイアを利用する側の姿勢についても苦言を呈してみようと思う。

日本の誇るべき伝統スポーツで、現在でも国民に根強い人気があるのは相撲である。
その相撲の人気の秘密だが、相撲が時代に応じ、実にメデイアをうまく利用していることがある。

私の相撲フアン歴は、終戦後間もない頃から始まっているが、その相撲試合を最初に知ったのはラジオだった。
やがてテレビ時代に突入して、茶の間でじかに相撲観戦が出来るようになって私の相撲好きはさらにエスカレートしていった。

残念ながら、ある時期から当地ドイツに居を移し、相撲との接点はほとんどなくなってしまったものの、できるだけ相撲に関するニュースには絶やさないできたせいか、例えば若・貴兄弟に関して、揃って横綱に昇進したことなど、いいニュース=美談として、記憶にとどめてきた。

当地ドイツにおいてもここ数年日本のニュースが容易に入手できるようになったからだ。
と同時に二人の相撲歴とは何ら関係のないプライバシーに至るニュース、ともすれば、家庭の中にとどめておくべきスキャンダルまで、見聞きするに至って、いかに人気を保つためとはいえ、「こんなことを放置していたら、最終的には相撲本体の崩壊に繋がるのではないか」とふと厭な予感がしたものだ。

全盛期にあっては、美談として語られ、相撲界に周囲にとって、イメージ作りとしてはプラスになるかもしれないが、これがもし裏目にでたらどうなるか。必ずその分、しっぺ返しを受けることになる。

スポーツとはいえ、相撲もビジネスである。
稼ぐために観衆にショー的パフオーマンスを披露するのは、それ自体間違いではない。

だが、その原点はあくまでも勝負にある。
相撲という勝負の世界が存在し、その勝負に真剣に挑戦し、観客に愉しんで貰うからこそ、ビジネスも成り立つからだ。

それ以外のことは、付随的なもので「おまけ」である。 
その「おまけ」にはほおえましいのと、つい目をそむけたくなるものと二種類ある。当事者の家庭内紛などは、その限りにおいて後者に属するものである。
しかも勝負の世界とは何ら関わりのない私的な醜聞である。
もし当事者がその分までメデイアに乗せ、人気につなげるというのであれば、それはそれでいい。
だがよほどの覚悟が必要である。万が一、失敗に終った場合、目も当てられない事態を招いてしまうからだ。

そういう意味では今回二子山親方(元大関・貴ノ花)の死の直後から噴出した兄弟の確執、しかも部屋を継承し有能な相撲取り育成に邁進すべき貴乃花親方のテレビという公器を利用しての家庭の内紛告発は、明らかに勝負師としての限界を逸している。

メデイアは大喜びだが、一方相撲界にとっては多大の損害をもたらしたことになる。
ドイツでも多かれ少なかれ、スポーツの世界、とりわけ人気スポーツのサッカーの選手たちはともするとこの手に乗りがちで、メデイアもあの手この手でワナを仕掛けて待ち構えている。

しかし、彼らは心得ている。「我々は勝負師であってタレントではない。
従って公私は峻別し、勝負にのみ精魂を傾ける」と。すっかりメデイアに取り込まれてしまったかにみえる日本の相撲界にとって耳の痛いセリフである。



  経済界2005.6.21=失業者増に歯止めが掛からないドイツ
たかがドイツの州選挙ではないかと軽んじてはならない。

何しろドイツで最大人口二千万人を抱えるNRWという州で五月二二日に行われた選挙で、社民党が大敗し、三九年ぶりに保守キリスト教民主同盟が政権奪還を果たしたその日、シュレーダー首相は数時間後、「これ以上、政権にしがみついても、いたずらに時間を無駄にする」と観念し、来年九月までの一年半にわたる任期を待たずに連邦議会解散を宣言したからである。

理由は失業者の増大が止まるところを知らず、社民党の票田である労働者が党に見切りをつけ反乱したからである。

とりわけNRW州の失業者は百万人に達し、これはドイツ全失業者五百万人中、失業率二十%。五人に一人は失業していることになり、しかも全十六州中最大の失業人口を抱えている。

このドイツ失業者増大に歯止めを掛けるため今年に入ってシュレーダー首相は、思い切った失業者解消改革断行を試みている。だが時既に遅く、効果のないまま窮地に追い込まれてしまったのだ。

その失業者増大の最大の原因は、企業の国外脱出にある。企業にやさしい政策を怠ったことで、初めの頃は大企業が、やがて中小企業もこれに続いてしまったのだ。

昨年五月東欧八カ国が欧州連合に加盟したことで、この傾向により拍車が掛かった。
これらの国は西側レベル、とくにドイツを抜こうとの意気込みで、次々と有利な誘致条件をドイツの企業につきつける。人件費もドイツに比べ十分の一程度で済む。何よりもドイツにとってこれらの国の一部はかつてドイツ領土だったこともあり、心のふるさと、その思い入れがある。

従って企業進出も、下駄履きで隣人を訪ねるほどにやり易い。

一方、国外脱出に乗り遅れた企業は、他国との競争に打ち勝てないまま倒産の道を選択するか、生き残りを図るには、東欧諸国からの安価な労働力に頼らざるを得ない。

こうした中で、職を失った多くの優れたドイツ人労働者たちは、ドイツに見切りをつけて国外に職を求めて去っていく。

もっともこの原因は今から七年前の一九九八年、十六年間にわたった
コール政権が破れシュレーダー政権が誕生した時から予想されたことだった。

選挙に勝利したとはいえ過半数に満たないこの党は、初めて「緑の党」と連立政権を組む冒険を行っている。

この連立が何を意味するか。
経済効率=採算よりも環境重視を優先する「緑の党」との連立では、企業に冷酷なのは火を見るよりも明らかで、このことをいち早く察知した多くの企業家並びに海外投資家は、早々に世界中に警鐘を鳴らし、対抗策として国外退出並びに投資停止というサボタージュの挙に出たのだ。

彼らがシュレーダー政権の短命を願っていたのはいうまでもない。
成立当初二年持つまいと予想する者もいた。ところがあにはからんや、何と二期目も政権に就いてしまった。結果ドイツ経済は惨澹たる有様になってしまった。

これでは国民は現政権にレッドカードを突きつけるのも無理はない。
欧州連合もEUの牽引車であるドイツに何かあってはとはらはらしていただけにほっとしている。

  経済界 2005.7.5=対立が表面化してきた先輩組と後輩組
欧州連合(=EU)が二五カ国体制でスタートしたのは昨年五月のこと。
欧州各地で盛大な加盟式典が行われたのは記憶に新しい。とりわけ東欧八カ国の歓喜迎は格別だった。
なぜなら、これらの国は第二次大戦後、やっとナチスから解放され自由を満喫できると喜んだのもつかの間、旧ソ連の隷属を余儀なくされ、以後、一九八九年、「ベルリンの壁」崩壊まで、約半世紀にわたって、塗炭の苦しみを味わうことになってしまったからだ。

その後、ひたすら西との接近の道を探り続けたこれらの国! ようやくEU二五カ国体制に入った昨年、夢は実現した。
反面、先輩である西側の欧州加盟国、つまりEU先輩グループでは、 当初は歓迎したものの、その後、とうも様子が違うというので、「おれたちは犠牲者」という被害者意識に駈られ始めている。

しかもEU加盟希望国はこれで締め切られるのでなく、二年後にはブルガリヤとルーマニア、さらにトルコまで加盟を希望しているのだ。

今回EUの要となる欧州憲法の賛否を取る国民投票で、EU推進国フランスに続いて、オランダでも否決という結果が出たのは、そうした不満と不安が国民の間に広がっているからだ。

例えば、フランスで「ノン」を突きつけた国民の大半は単純労働者である。
彼らは、これら新参国からの大量労働者導入により賃金破壊と失業のとばっちりをもろに受けることになってしまった。

その彼らを積極的にバックアップしているのが極右=ル・ペンと極左=共産党で、この二つの党が彼らの背後にあってしきりに煽りたてた。

オランダの国民の不満は、EU加盟国中、オランダの一人当たりの分担金負担が最も多く、その割に経済的メリットが少なすぎるというもの。

その一方でオランダの国民投票の翌日実施されたバルト三国中のラトビアの国民は、賛成に回っている。つまりここに来て先輩組と後輩組との関係がギクシャクし、結果、欧州憲法の承認の段階で表面化してしまったのだ。

早速その影響はユーロにも及んでいる。
ユーロは唯一米国ドルに対抗しうる通貨として、誕生後、その地盤を着々と築いてきたのだが、ここへ来てブレーキが掛かってしまったからだ。

ちなみに対ドルにおけるユーロの変動だが、二〇〇四年五月三日、一,一九五三ドルは昨年末十二月二八日、一,三六三三ドルと最高値をつけたが、今(六月一日)では一,二二二八ドルにまで値を下げている。

元々、「ユーロは高すぎる」という見方もある中で、欧州中央銀行のトリシェ総裁が、六月二日の記者会見の席上、ユーロ通貨加盟十二カ国の今年の経済成長率について、今年三月の予測一.二から二%を、一から一.七%と下方修正しなければならなかったように、EUが拡大した去年以降、どうも欧州景気は思わしくないのだ。

これについて、トリシェ総裁は、ユーロ圏内の需要が落ち込んでいるのは、原油高もリスクとなっている」と述べているが、EUの先輩加盟国の国民はそう思わない。

彼らの回答は簡単である。
「わが身を犠牲にするEUなど、くそ食らえ! NoNoNo !!」

  メデイアに必要な他人思いやる教育
自民党機関誌
「自由民主」2005年5月31日掲載


日本の交通機関、とりわけ鉄道のダイヤの正確さは世界一で驚異の的との定評がある。
私も日本へ帰国するたびに、あの過密ダイヤで、一秒たりとも狂うことなく、ピタリと到着し発車する日本の鉄道マンの“神技”としか表現のしようがない職業的根性には、脱帽している一人である。

欧州では、ダイヤの遅れ=乱れ(日本のような過密ダイヤでないにもかかわらず)は、日常茶飯事で、比較的時間に神経質なドイツでさえ、数年前に”ICE”という新幹線に相当する特急が脱線し、多くの死傷者=犠牲者を出したころから、”安全”運転優先を理由に、列車遅延は当たり前のようになってしまった。

結果、最近では、顧客の不信を買って、遅れた分は料金払い戻し、一部割引を導入している。
そこへ今回のJR西日本による尼崎脱線事故である。

このような場合、ドイツ人は一体どのような反応をするか。
「仕方がないよね。所詮人間の行為、絶対とか完璧などありえないもの。大事なのは当事者の気持ちに配慮することで、あとは当事者と専門家にことの
成り行きを委ねて静かに見守るしかないわね」。
メデイアも後追いをしてあれこれ詮索しない。ところが日本は違う。

今回の脱線事故についてもそうで、事故が発生したとたん、犯人探しが始まる。今回のばあいは事故を起こした側が悪いというので、一挙に彼らを悪者扱いにして血祭りにあげようとする。

その典型的な例がダイヤである。確かに被害者にとっては、事故後、「少しくらい遅れてもなぜ安全運転してくれなかったのだろう」とやりきれない思いがあろう。

だがその一方で、日ごろ彼らには正確なダイヤ運転を無理強いしているのも乗客なのである。正確なダイヤに慣れているせいか、一秒もの遅れも許さない。だが事故発生と同時に、そのことはすっかり忘れ去っているのだ。

同時に、事故を起こした電車に乗り合わせながら、乗客を救助せずに出勤した男性運転士二人に対しても、「なぜ、助けなかったのか」と八つ当たりする。

運転士にすれば、この非常事態だからこそ電車が公共機関であるがゆえに、運行をストップさせてはならぬとの責務に駈られということもありうるだろう。

そういう点で追及する側にも問題はある。とりわけニュースを流す側にその配慮が欠けているらしく、事故を起こしたのはJR西なのだから、彼らを罪人に仕立て上げて何が悪いといわんばかりの正義カゼを吹かす。

テレビでは葬儀場でひたすら謝罪し続ける社長に被害者家族が罵倒するするシーンを見たが、これを社長の家族ならずともJRの社員一同は一体どのような気持ちで見ているのだろうかと思うと、正直なところ、その無神経さに腹が立った。

相手の痛みが分らないで何の取材か。JR西日本幹部の記者会見で、ある記者が“罵声”を浴びせたというのがまさにそうで、さすがこの記者にあるまじき逸脱した取材マナーを巡っては
読者や同業者からも批判の声が挙がり、所属の新聞社が早々に謝罪している。

今後はメデイアにおける他人に対する思いやり社員教育が必要になってくるのではなかろうか。

  中国にしてやられたスパイ天国日本の姿
自民党機関誌『自由民主』
2005年4月19日付
「メデイア見聞読」


“「スパイ防止法」立法化の必要性を説いた拙稿が産経新聞「正論」に掲載されたのは四月二日のことだった。
この記事に対する反応だったのか、早速、日本のメデイアは翌日いっせいに「防衛庁元技官が潜水艦資料持ち出し、警視庁が自宅捜索」という見出しで防衛庁技術研究本部の元技官が在職中、海上自衛隊の潜水艦に関する技術情報の資料のコピーを不正に持ち出していた疑いがあるとして、警視庁公安部が、元技官の自宅など約十か所を窃盗容疑で捜索していたことを報じていた。

防衛庁関係の人物こそ心して防諜意識を持つべきという警告は当然としても、私はこの記事を読んで、またかと、つい苦笑してしまった。なぜなら、これまで、こうしたスパイとようなようなスキャンダルが発生すると、常にスケープゴートとして真っ先に狙われるのは防衛庁関係者と相場と決まっている。

無理もない。日本の戦後六〇年とは、国家の柱となるべき安全保障を軽視し、都合の悪いことは全て防衛庁=自衛隊のせいにし、ことあるごとに自衛隊のイメージを悪くすることこそが、平和なのだと多くの日本人は錯覚=勘違いし、メデイアもそれに加担してきたからだ。

ではなぜこのような風潮が日本のメデイアを制したのか。その仕掛け人は一体何者で、何が目的だったのか。結論を先に述べると、仕掛け人は中国で、目的は日本弱体化にあった。
その歴史的背景だが実は一九七二年田中角栄氏が総理に選出された年、ニクソン大統領が日本の頭越しに訪中した。それを受けて、田中総理も日中国交を樹立させている。恐らく当時日本はこれで日中友好の絆が築けると有頂天になっていたのではないか。
ところがあろうことか、中国は同時に対日工作としてある画策を秘密裡に準備していたのだ。

この年、中央学院大学の西内雅教授(故人)がアジア諸国を歴訪した際、偶然、中国共産党が革命工作員に指示した対日謀略策の「中国共産党『日本解放第二期工作要綱』」なる秘密文書を入手している。
これによると、「我が党=中国の当面の対日基本戦略は、日本が現在保有している国力の全てを、我が党の支配下に置き、我が党の世界解放戦に奉仕せしめることにある」とし、その任務達成の手段として工作員=スパイを日本に送り、「個別に対象者に接触して、所定の言動をその対象者に行わしめること」を達成することとし、工作者は常に見えざる黒子であらねばならず、終始秘密を保持しうるかどうかにあり、従って、「工作員全員の日本入国身分の偽装、並びに工作上の秘密保持方法については、別途に細則を以て指示する」としている。

当然日本のメデイア工作も含まれ、新聞については、「『三大紙』に重点を置く接触線を堅持強化すると共に、残余の中央紙及び地方紙と接触線を拡大する」とし、雑誌、特に週刊誌については、「接触対象の選定は十人の記者よりは、一人の編集責任者を獲得せよとの原則を守り、編集を主対象とする」としていることだ。

あれから三十年余、スパイ天国日本のスキを突かれ日本のメデイアは見事に中国にしてやられてしまった。
そのぶざまなノー天気姿が今日の日本である。
何とかならないもだろうか。いや何とかしなくてはなるまい。“

  ライスに続いてブッシュも欧州に向けて旅立った。米国が一国主義といっても、やはりね
月刊『力の意志』 2005年4月号掲載


イラク史上初の自由選挙が実施されたのは一月三十日のことである。早速、在外投票を済ませた知人のイラク人女性(目下フセイン暴政を逃れドイツに亡命)から、「女性蔑視のイラクで、生まれて始めて投票できた」と感極まった報告を受けた。

結果は周知の通り。 
旧政権を支配したスンニ派勢力の多くが棄権し、将来に多少の不安定要素を残したものの、イラク国民はもちろんのこと、何をさしおいても二期目に入ったブッシュ政権にとって吉報となった。

 ブッシュ大統領はこのイラク選挙の成果をたたき台として、イラク戦争の是非をめぐり亀裂が生じた大西洋同盟再構築を米国ベースで進めようとしているからで、その真意を忖度すると、「それ見たことか」といわんばかりの欧州へのあてつけが見え隠れしている。

事実、一九八九年「ベルリンの壁」崩壊後、冷戦が終焉するや、軍事超大国として一国覇権主義へと疾走し始めた米国の前に立ちはだかったのが、何とそれまで味方であったはずの欧州勢だったからだ。 

その欧州には、「軍事力では米国に到底及ばないが、二十一世紀の幕開けと同時に通貨統合を完了し、昨年五月には旧ソ連の隷属下にあった東欧諸国八カ国加盟で二五カ国体制を実現して見せた」という自負がある。はからずもイラク戦争は欧州の本音を露呈してしまったわけで、その直接の確執の原因とは、イラクにおけるオイル利権にあった。 

湾岸戦争(一九九一年勃発)後、イラクのオイル利権図が米国にとって代わり仏露両国に塗り替えられたばかりか、石油決済通貨がドルからユーロに切り替わり、多くの産油国もこれに追随し始めたからである。 

もっとも、米欧の確執はそれだけに止まらなかった。
欧州は軍需産業面でも、米国と対抗し、漸次その頭角を現し始めたからだ。 
独仏英スペインによる共同出資で立ち上げた欧州航空防衛産業(EADS社)がそうで、その子会社エアバス社は「空飛ぶホテル」と異名を持つデラックス旅客機「A380」開発に成功し、今や技術や販売力両面においてそれまで世界市場で独占を誇ってきた米国のボーイング社を抜く勢いにある。 

欧州が政治とビジネスがらみで近年とみに急成長にあるアジア重視政策を推進しているのも米国にとっては気がかりである。 

今回のインド洋津波災害でもドイツを初め欧州各国は、真っ先に被災地支援に手を貸し、政府と市民サイドによる大々的な救援活動と寄付ラッシュを展開して見せた。 

その見返りがインドネシアによるドイツ製早期警戒警告探知システム導入だった。 
この程度なら目をつむる米国だが、こと対中貿易となると話は別である。 
経済効果を狙う欧州が中国との接近に熱心なのはいいが、中国の要請を受け天安門広場事件の風化を助長する対中武器輸出制裁解除の動きがあるから困る。その中国は昨年「有人衛星」に成功したばかりで、欧州の軍事ノウハウはのどから手が出るほどほしい。 
日中関係の冷え込みで、日本に対する期待が薄くなったその分、欧州に擦り寄り肩代わりして貰おうというわけだ。 

しかもそのアジアといえば、「EU構想」に触発され、初の米国抜きによる東南アジア諸国連合と日中韓三カ国を中心とした「東アジア共同体」構想を推進し、経済だけでなく、政治、安全保障面で協力関係の強化を図るため、今年にも東アジアサミット開催に踏み切ろうとしている。  

もっとも米国とてそのEUの動きを黙認していたわけではない。
イラク戦争で反旗をあげた独仏両国を「古い欧州」と決めつけ、EU分断作戦を試みているからだ。 

だがその後この画策はスペインにおけるEU重視の新政権誕生で見事に失敗している。  
何の事はない。当面米国にとってもっとも手ごわい相手とは、欧州連合だった
のである。
今回その事実を実感し、今度はEUと仲直りするという。つまりかくもEUの要塞は強固だったのだ。


 

  ”NHK問題で見えた朝日新聞の胡散臭さ”
=掲載期日平成17年3月1日 「自由民主」=


冷戦中、最前線に位置し東西分断の悲劇に遭って、緊迫感漂っていたドイツ! そのドイツ住んでいるせいか、物事に対して妙に懐疑的になる癖がついている。

今回のNHK特番問題もそうで、「胡散臭いな。恐らくこの事件には背後関係がある。あるシナリオによって筋書きとおりに事は運んでいるに違いなく、きっと誰かがスケープゴートにされる」、と直感した。

三五年余り、日本を離れドイツに住み、その熾烈なドイツ政治と密着してきたから、少し、鼻を利かせればこのくらいのことは見当がつく。

この事件だが、最終的には朝日新聞が、名指しで、二人の政治家安倍晋三幹事長代理と中川昭一経済産業相の政治介入と、断定的な言い回し記事を掲載するに及んで、そのシナリオが二人の政治家おろしであることがほぼ確実になった。

さっそく、自民党では二月八日、NHK番組の改編に関する調査チームの会合を開いて、NHK側に「圧力をかけた」と報じた朝日新聞に対し「虚偽報道だったことを認め、責任ある報道機関として安倍、中川両氏、国民に釈明すべきだ」との見解をまとめ公表している。

その見解とは
(1)安倍、中川両氏が圧力をかけた事実はなく報道は虚偽
(2)番組に問題のあることがNHK内部で問題化し自主的に内容を編集した。(NHK幹部と)議員の面会は関係ない
(3)朝日新聞は報道の根拠を示さず説明責任を果たしていない−−
としている。

標的にされた政治家にとって当然の措置である。それにしても、この朝日新聞の事件。事前にそのカラクリが暴露されたからよかったものの、恐らく数年前なら、朝日新聞に勝負ありとの結論がでたろう。そして両氏は政治失脚という憂き目に遭遇したに違いない。

ところが、この画策、彼らの思い通りにならず、失敗した。なぜか。ネットの効用というか、そのネットが思う存分、本領を発揮してくれたのだ。
最初海外が、先ずこの事件の胡散臭さを嗅ぎつけた。次いで国内のネットが、その報道ぶりに目をつけた。

とりわけ本人本田雅和記者に至っては“前例”もある。例のイラクの「人間の盾」について、その胡散臭さを嗅ぎ取り訴訟に持ち込んだある女性が、彼と接触し被害に遭っているからだ。

彼女は、本田記者に直接電話でその誤りと指摘している。ところが訂正するどころか、「貴様、新聞記者に取材するのか!」と暴言を吐いたのだ。
怒った彼女は、「私は、もしNHKと朝日が裁判になったら『本田雅和氏は過去にも捏造記事を掲載した事実がある』と証人になってもよい位の気持ちです」と私宛のメールで記述。彼女の許可を得て一部始終わがホームページで公開してしまった。

あの天下の朝日新聞とその記者さん! まさか、ここまで第三者から追及を受けるなど、思いもよらなかったのではなかろうか。”

  近ごろ、ユーロが肩で風切って世界を闊歩している。背景には9・11テロ事件と英米によるイラク攻撃がある
=『力の意志』 2003年5月号 =

ユーロの紙幣と貨幣が欧州ユーロ通貨加盟十二ヶ国の間でいっせいに流通することになったのは二00ニ年一月一日である。ユーロ導入直前「ユーロ」の金庫番となる当地フランクフルトをはじめ欧州の通貨加盟国各地では、さまざまなユーロ導入記念式典が開催された。

歴史的な記念すべき日というので、私もせっせと足を運んで、あちこちで開催される記念式典に顔を出した。ユーロのお札やコインも欧州中央銀行から一足先に頂戴した私は結構お鼻を高くして,知人の誰彼にみせびらかしたものだ。 

一月一日といえばドイツは休日。多くは店を閉めていたが、駅の構内や空港のお店は年中無休なので、私は先ずフランクフルト駅の構内へ出掛け、新聞を買って見た。

マルク札を出すと、ユーロでツリゼミ銭を受け取る。 マルクはユーロの半分の価値とは承知していたものの、いざ、お釣りを貰ったら,いつもと違い半分になっているので、何だか財布が軽くなったようで、バカにされた気がして、いっしゅん戸惑ってしまったものだ。 
 
あれから一年。
ユーロに全く抵抗ガなくなったといえば、ウソになる。でもマルクに対する愛着はほとんど消え失せてしまった。 もっともドイツ人はそうはいかない。ドイツ市民の多くは、今も「強いマルク」の郷愁を捨て切れないでいるからだ。

そもそもこの国は第二次世界大戦敗戦後、東と西に分断された挙句ゼロ状況にあった。その(西)ドイツでマルクが導入されたのは一九四八年のこと、米国で印刷された新札マルクがフランクフルトへ運び込まれ国民一人ひとりに四十マルク手渡され、これが起爆剤となって、その後ドイツは見事に戦後復興を果たした。

つまりマルクは戦後経済のシンボルだったのだ。
そのマルクが消滅するというのだから、ドイツ国民が容易にユーロを受け入れようとせず抵抗を試みたのは無理もない。夫も今もってすぐ頭の中でマルクに換算してみせる癖が直らない。 その挙句「高い!」と愚痴り、財布のヒモをキュッと締める。

夫だけではない。大半のドイツ人にそうなのだ。その結果今やドイツの消費経済は落ちこむばかり。ところが何とそのユーロが近ごろ,肩で風を切り大手を振って世界を闊歩しはじめたからビックリしてしまう。
このところドル売りが収まらずその代わりににユーロが買われ、ユーロ高になっているからだ。

その理由だけれど、一つはあの01年月11日の同時多発テロ事件。
イスラム教過激派の仕業と分って米国では中近東系人間や彼らのカネのチェックを厳しくしはじめたこと。これに嫌気がさしたオイル長者一族が次々とドルを売りユーロに切り替えられはじめた。

と同時に、その一族郎党はカネに明かせての優雅な遊びやショッピングをユーロ圏の地中海近辺に移してしまったこと。二つは米英による強引なイラク攻撃に世界中が米国不信に陥り、中近東といわず、中国を初めアジア諸国、さらにはアフリカまでもがその金融政策にユーロを取りこみはじめた。

機関投資家も、米国のイラク攻撃後のシナリオが不透明な中、安全なユーロを投資対象にしはじめた。ユーロ誕生直後はユーロ続落にあって、ドイゼンベルグ欧州中央銀行総裁以下,各界からかなりイジメられたものだが、今はその当時がまるでウソのよう。

欧州連合の最終仕上げは通貨統合にあったから、こレほど喜ばしいことはない。
そうユーロのスタートは順調なのである。そこで欧州人は胸を張ってこう語る。
「これをして一筋縄ではいかぬしたたかに鍛え抜かれた欧州人間の二十一世紀のチエであり、かつ処世術でなくて何であろうか」と。

  アメリカのイラク攻撃に待ったをかけたドイツの真意
=「力の意志」2003年1月号=

イラク戦争は開戦からわずか約一カ月足らずで終了した。
その直後米大統領ブッシュは、「勝利は確実である、サダム・フセイン政権はもはや存在していない」と述べた。これを受けて四月一五日、早速フランスのシラク大統領はブッシュ大統領と電話会談を行っている。

一方ドイツのシュレーダー首相も、同日英国のブレア首相と、ドイツのハノーバーで首脳会談を行い、戦後のイラク復興は「国連が中心となるべき」との原則で一致させている。 

そのドイツだが、「米英主導の再建」を主張する米国との溝は依然深く、埋まっていない。だがブレア首相は、それはそれとし、米独関係修復の橋渡し役を務める意向を示し会談後はさらに、「良き友人、シュレーダー首相のドイツに来られて光栄で、両国関係が引き続き強固であることをうれしく思う」とシュレーダーに歯の浮くようなリップサービスまで行っている。
 
今回のイラク攻撃容認か否かを巡る国連での安保理決議攻防戦では、ドイツはイラク戦争絶対反対の立場を取り、一方フランスは拒否権行使の可能性までをちらつかせ、あれだけ米英とは激しく対立して見せたというのに。戦争が終わったとたん、この有様である。

恐らく、日本人の多くは、この見事な変幻ぶりにあっけに取られ、まるでキツネにつままれたような気になっているのではなかろうか。
 
しかしそれにしても今思うとあのせめぎあいは見物(みもの)だった。
とりわけドイツの奮闘ぶりお見事! この国はイラク紛争反対の火付け役となって、いっとき、アメリカをあわてさせてしまったからである。なぜかというと、このドイツのイラク戦争反対声明に端を発し、またたくまに世界中で反戦機運の火の手があがり、お膝元の米国にまで飛び火してしまったからだ。

そのため国連はその決闘の場と化し、、賛否両論二手に分かれ、白熱戦が繰り広げられたばかりか、サッカーにたとえれば、米国はイエローカードならぬレッドカードを突きつけられる瀬戸際まで追い詰められてしまった。
 
ところがどっこい、アメリカの負けてはいない。こここがアメリカのの腕のみせどころと巻き返しに掛かったからである。そして最後の土壇場で、国連の思惑などもののかわ、有無をいわさぬ即断でイラク攻撃を開始してしまった。
その戦果はいうを待たない。緒戦こそ敵の撹乱作戦でつまずいたものの、勝利はアメリカの手の内にあったからだ。 
 
そのとたん、冒頭で書き記した通り、あれほど戦争に反対しケンカ腰だった独仏が、まるで何事もなかったかのように、にこにこしながら米英と握手を交わすことになった。この変わり身の早さ!
 
実はここがミソなのである。なぜならそもそもあの対立とは、あくまでも白人を中心としたサロン的欧米フアミリーの所詮「仲良しケンカ」、国連での欧米諸国同士の理論武装もテロ国家やテロ支援国家に対する敵と味方に分かれるフリをするカムフラージュの一つにすぎなかった、そう当地では見ている。

その証拠にこの一件では欧米諸国は水面下で大なり小なり、互いに固い握手を交わし協力関係にあるからだ。

例えばドイツでは現在米軍兵士は七万人余り駐留しており、これは他の欧州の国と比較て突出している。しかもドイツ連邦軍はイラク戦争で召集を受け無人となった米軍基地におけるテロなど不測の事態に備え日夜警護にあたってきた。

またイラク戦争での米軍負傷兵が最初に手当てを受ける米軍病院はドイツにあり、その救助活動に多くのドイツ人が従事している。それだけではない。
戦場では軍艦、大量破壊兵器探知機、空中警戒管制機、それに兵士や医療チームも派遣している。
 
加えてドイツはイラクから数十万人もの難民や亡命者を引き受け。その彼らがアメリカと密着しフセイン打倒の起爆剤となったものだ。 
 
というわけで、ドイツは今回のイラク戦争では、全面的にアメリカに協力してきた。
今もその姿勢を崩してはいない。
 
それなのに、なぜ、今回ドイツはあえて超大国アメリカに猛然と食って掛かって、イラクに対する武力介入に反対して見せたのか。

その主な理由は四つある。

一つは、アメリカによる歯止めの掛からぬ一国覇権主義に「待った」をかけたいという意図があったからだ。とりわけ冷戦終焉後の米国の身勝手さは、目に余るものがある。イラク問題でもその傾向は強く、ドイツはそのアメリカの傲慢さにブレーキを掛けたかった。そのためにドイツは、フランスとタイアップし武力介入反対ののろしを上げたのである。

二つはドイツはアメリカと違い、地理的に中東と近く、この中東からは数百万人もの難民が流入してきているという国内事情がある。その彼らを懐柔し、国内治安を図るためは、一応「反対」という声を挙げることが必要だったのだ。

三つ目は第二次世界大戦後、米国の一国支配をかつて旧ソ連が阻止したように、今度は欧州がその役割を担うという使命感があった。半世紀にわたって欧州統合に情熱を掛け、最終的にはユーロという通貨統合をも仕上げて見せた独仏両国の誇りと自信である。

そして最後の四つ目は欧州では今も絶対的な影響力を持つ教会、その教会がカトリック・プロテスタントともに、イラク武力行使に反対していた。これに気を強くした連邦大統領ラオは、「ブッシュ大統領は、イラク戦争を自らの宗教を利用し正当化している。

その彼が、この戦争を行なう原因となった神の使命を口にするとき、どうも神を誤解しているような気がしてならない。なぜならある国民が別の国民を解放せよなどという尊大なことを神は指示するはずがないと思うから」と厳しく批判している。
 
とすると、今回のこのイラク戦争の真の成果だがどうだろう。確かに短期的にはアメリカが勝利を収めた。だが長期的にみるとどうも、この勝負、ことはドイツに有利に運ぶのではないか、どうもそんな気がしてならない今日このごろである。

  普段は『国益最優先』で足並みの揃わないEUだが
=『力の意志』2005年1月号=

「手段はどうあれ、スキを見てウラを掻く」。テロ国家北朝鮮やイスラム教過激派テロ・グループの常套手段である。今年三月、スペインで発生した列車転覆テロはその成功例だった。

何しろあのテロは総選挙直前に仕掛け、親ブッシュ政権を倒した挙句、要求通りスペイン兵イラク撤退を貫徹して見せたのだから。

今回の米大統領選でも、反ブッシュ勢力により、当地ヨーロッパでは似たようなテロが各地で相次いだ。例えば米大統領選当日の十一月二日、欧州議会(EU)議長国オランダではテオ・ヴァンゴッホという映画監督が白昼イスラム原理主義信奉者モロッコ系オランダ人に暗殺される事件が発生した。

ヴァンゴッホという名のごとくかの有名な画家の末裔で、犯人の動機は監督が映画で女性蔑視のイスラム教批判を行ったからというもの。 
オランダは世界でも有数の『寛大な国』として知られ、又その伝統に誇りをもってきた国である。
言論の自由もその一つで、テオ・ヴァンゴッホ映画監督は、彼の作品では、イスラム教ばかりか、彼の信じるキリスト教や、目下イスラム教とは犬猿の中にあるユダヤ教に関しても、これまで遠慮会釈なく彼流のシニカルな論評で、槍玉にあげてきた。 

思想的には右寄りで、二年前ほど前に暗殺された右翼政治家ピム・フォルタイン氏を尊敬していたというから その彼の思想が右傾であることは、間違いない。
とはいえ、オランダの国風に則って、国民もその辺は理解し了承しており、彼に関しては、作品としての価値を見出すことで、ごく自然に、彼の人となりを受容している。
それなのに何ということだと、オランダ国民は憤慨している。

そのオランダは米国の要請により、イラクに人道支援名目で兵を派遣している。
兵は、十一月十二日、カンプ国防相の話として、イラク駐留の同国軍一三五〇人は来年三月、当初の予定通りに撤退すると伝えている。それなのにというだ。

というわけで、この事件を契機に、オランダではもっか移民、とくにイスラム圏からの移民に関して、その政策を見直そうとの動きが急に活発化している。

もっともこのイスラム系移民に関しては、何もオランダだけではなく、欧州各国で神経を尖らせはじめている。
例えば、イラク戦争では、賛否真っ二つに割れ、米英国両国と対立してしまったフランスとドイツでも同様の危機感を抱き、9・11事件以後、「テロに屈するな」の合言葉のもと、米国を主軸に、独自の優れた情報機関を駆使し、テロ活動の機先を制して、戦かう傾向にある。

その証拠に、国益優先第一で、普段はめったに足並みの揃うことのない英仏独三国でさえも、こと「テロとの戦い」となると、とたんに結束して見せる。
そういえばその英仏独三国協力では、あの米大統領選前後でも、実に見事に一体化してみせた。

一つは米大統領選直前に、急浮上したパレスチナ自治府アラフアト前議長急死の一件。
フランスはいち早くパリでの治療を理由に彼のパレスチナ脱出に手を貸し 彼の生死のカギを握ってしまった。 こうすることでフランスは、アラフアトのテロリスト的行動に楔を打ち込んでしまったのだ。仏国民もその事実を暗黙のうちに了承している。

二つはドイツでのこと。
この国は米大統領選当日から三日間、英国と結託して英国のエりザベス女王夫妻を招待し、国を挙げて盛大な式典を開催した。これが何を意味するか。実はドイツ国民の七割は
反ブッシュである。しかも、国内には数万人ものイスラム教系テロリストを抱え、以前から不穏な動きが取りざたされていた。

そこで国と国民はこの行事に関心を寄せることで、見事にその動きを封じてしまったのだ。 
いずれにしろ、当地欧州では、米国の9・11同時多発テロ事件以後、スペインの列車事故、オランダの映画監督暗殺事件に直撃され、ここ欧州では普段は常に国益優先でギクシャクするというのに、一気に協調機運が高まってきているから摩訶不思議である。

  米国がイラクで泥沼に嵌まっている一方で、EUは人事の揉め事を話し合いで解決
=『力の意志』 2004年12月号掲載=

この原稿が掲載されるころには、米国大統領選は終了している。
そして、ブッシュかケリーかどちらかが世界一強い国の大統領として、四年間辣腕を振るう。

日本にとっては小泉首相と特別の関係にあるブッシュが再選されれば願ってもない。
近隣諸国との関係で、久方ぶりに国益優先を何ら躊躇することなく主張するようになった日本としては、その後ろ盾になってエールを送ってくれているブッシュの力はかけがえのない強力な応援団であり、世界の日本を見る目もかなり違ってきているからだ。

一方欧州、とりわけ欧州連合(EU)にとっての米大統領選に対する見方はどうだろう。
イラク戦争に反対の意思表明をしてきたEUのリーダー独仏両国にとっては、民主党のケリーが大統領に選出されることがもっとも望ましい、そう願っている。

片や賛成に回った国はどうか。
最近は英国を筆頭に、そのホンネを忖度すると、できることなら民主党のケリーが勝ってほしいと願っているようなのだ。
なぜなら彼の国も多くの国民は戦争嫌いだからだ。
米国が無理やり戦争に突入したから、その歴史的なアングロサクソン的というしがらみとイラクの石油利権にありつけるという希望観測もあって、賛成に回り兵を送りはしたが、できれば、これ以上戦争を長引かせ、そのお付き合いをさせられるのはご免だという。

そのEUの大国英独仏三国だが、ケリー勝利では、イラク復興に積極的に協力するつもりでいる。もっともその見返りを充分、計算した上での話である。

一方ブッシュ勝利では、英国はさておき、独仏両国は、さらに米国と距離をおくつもりだ。そして米国がイラク戦争のドロ沼に足を突っ込むことで、その弱体化をじっと見守り待ち続ける。
紀元前よりこの方、戦争に明け暮れ、最後は第二次世界大戦で、その幕を閉じ、二度と欧州大陸を戦場にしてはならぬと以後剣を捨てて、言論闘争一筋にに切り替え、EUという機構を創設しその路線にそってまっしぐらに歩み続けてきた欧州のしたたかな世界戦略である。

今回もEU議会に目を移すと、早くも次期EU委員会議長バローゾと議員の間におけるにらみ合いが始まっている。
理由はバローゾが指名した欧州委員に不満があるからだ。
バローゾとEU議会の一部が対立したそもそものきっかけは、内務および法務委員の就任に予定されていたイタリア政治家ブティリオネの同性愛および社会の中での女性の役割をめぐる差別発言。
これに社会党、緑の党、自由主義会派の議員たちが異議を唱えボイコットを宣言したからだ。そこでバローゾは人事に関する提案を一切撤回することにした。

このような独裁的ともいえる決定は、EUの歴史上前例がない。
いきりたった議員たち! 結局バローゾはEU加盟各国の首脳と新たな委員について今一度話し合いを行なうと約束し、いったん事を収ねることにした。

もっともこの戦い、一昔前だったらどうだったろう。当然、槍と鉄砲を持ち出す戦争へとエスカレートしたに違いない。そうならないのが今の欧州なのである。
こうした欧州の動きに近ごろ米国人も注目しはじめたらしい。その証拠にこのところ米国の金満家たちの多くはドルを捨てユーロ投資に熱中し始めている。
道理でユーロが高いはずである。

  正月番組で安穏 ”地震大国”のTV
=自民党機関誌『自由民主』 メデイア見聞読 2005年1月25日掲載=

十二月二六日、インド洋沿岸諸国を突然襲った巨大地震・津波の犠牲者は約二十万人に及ぶ史上最大の自然災害となってしまった。

この自然災害の悲惨さは、一国のみならずインド洋にまたがる全ての国が被害に遭遇したこと。インフラや住民の家屋敷、さらには観光収入目当ての避暑地の施設を根こそぎ破壊し、復興に数年掛かるという深い爪あとを残してしまったことだ。
しかも、リゾート地としてその名を知られるだけに比較的豊かな産業先進国の観光客にも容赦なく襲い掛かって多数の犠牲者を出してしまった。

とりわけ欧州ではキリスト教最大の祝日=クリスマスシーズンとあって、常夏の国東南アジアでの休暇は、人気も高く目白押し。
それなのに、あの突発自然災害で、いきなり地獄へ突き落とされてしまった。
危機管理では常にその本領を発揮してきたドイツは、今回も直ちに外務省内に緊急対策室を立ち上げ、現地ケアのため技術救援隊や医師、看護婦、遺体検死官、兵士を派遣し、災害救済処理に当たったものだ。

これにはクリスマス休暇を中断し、官邸にあって陣頭指揮にあたったシュレーダー首相や、偶然休暇で現地入りし、自ら災害に遭遇しながら、被災地にあって支援した前コール首相の功績を忘れてはならない。
国民もこぞって人+モノ+金の面で手を貸した。

それだけではない。こうした政府や大物政治家を含めた国ぐるみの救出活動に実は、ドイツメデイアも一心同体となって歩調をあわせバックアップしていることだ。国営・州営テレビはもとよりニュース専門の民放N24やNTVも、四六時中、地震と津波による最新ニュースを流し、自国の救援活動の様子や惨事の状況、さらに各国の被害状況や支援の現状とその実態を繰り返し放映する。
加えてドイツ赤十字社をはじめ、いくつかのケア組織、新聞社と提携し、大物政治家やサッカーなどスポーツ選手や歌手など知名人を登場させる支援キャンペーン・ショーを開催し義捐金=寄付活動を展開してみせる。

一方日本の報道機関、とりわけテレビはどうだったのだろうか。
日本も政府は直ちに五億ドルもの緊急支援を表明し、人的支援でも津波発生後、災害地付近を航行中の護衛艦とヘリコプターを国際緊急援助隊、消防の専門チーム、さらに、医療や輸送支援に自衛隊を派遣するなど救援活動に懸命に手を貸してきた。

にも拘らず、日本の知人によると、この時期正月を理由に、テレビ番組はお笑い一色で終始してしまったという。
早速賀状に「既に決定した正月報道で安穏としている報道姿勢は平和ぼけの象徴でしかない。この日本の報道姿勢では人は救えない。それのみか人々を無関心へと誘導してしまう。それでも彼らは意義ある報道を行っていると胸を張って言えるのか。本来なら日本は地震・津波大国だけに、これらに関する豊富な資料は大量に揃っているはず。この機会にテレビを通しこの情報を世界に伝えることも可能だったのに。何を勘違いしているのか」と書いて寄こしてきた。

  治安体制の杜撰さを露呈したロシア犯人見逃し料は800〜1200円
(経済界 2004.10.19)

久しぶりに休暇地ソチでゆっくり足をのばしシラク大統領やシュレーダー首相を招待しくつろいでいたプーチン。その彼に最悪のニュースが入った。オセアニアの学校における人質事で、前代未聞といわれる多数の死傷者を出してしまったからだ。

その一週間前には旅客機二機、そしてモスクワで連続爆破事件が発生している。
いずれもチェチェンのテロリストが絡んだ無差別テロ事件で、犯人の目標=意図はこの事件によって、ほぼ完璧に実施されたと当地ドイツでは報道したものだ。
なぜなら、少なくともこの事件を通して、世界中の人々がチェチェン問題に多かれ少なかれ、また良きにつけ悪しきにつけ関心をもつことになったからだという。

何よりもこのテロ事件では、ロシアの治安体制がいかに杜撰であるかが、露呈したことだ。
エリツイン時代に始まった汚職という慣習がこの国ではすでにプーチンが信頼し、頼りにしている秘密警察やら特殊部隊にさえ浸透し、日常化していること。
カネになると思えばたとえテロリストと知っていても平気で武器を売り渡すのもそうだし、逃げるテロリストを見逃すのも、彼ら警察官や治安部隊員で、見逃し料の相場は、国内だと6ユーロ(約700円)国境における警備への見逃し料は10ユーロ(約1200円)。

何人いたか、人数は不明だが、あの学校での人質犯人も、どさくさでかなり、逃げおおせたのも、オセアニアにはチェチェンからの難民が多く、彼らは心情的にテロ・シンパで、警察と示し合わせ、犯人逃がしに手を貸す者がかなりいたからだ。

今回の事件でプーチンが腹を括って夜を徹して戦わなければならないものがあるとすれば、まずこの腐敗した社会の一掃であろう。その延長線上にあるのが、すっかり取り残された飛び地カリーニングラードである。

実はこの町こそ、ロシアのこうした腐敗を増幅している町だからだ。
かつてはソ連時代、軍港として西に睨みを利かせてきた町なのに、今やポーランドとバルト三国の挟み撃ちになって、いずれ「四番目のバルト」化になるとささやかれて
いる。

つまりロシアから忘れさられ「消えゆく町」なのである。
元はといえばこの町はケーニヒスベルグといい七百年の歴史を持つドイツの領土だった。ところが一九四五年、旧ソ連軍=赤軍に浸入され、ドイツ人は一人残らず追放され、その代わりにロシア人が移住してきた。だが今回飛び地となったことで、逆に町の欧州化が進んでいる。いいかえれば何一つ資源のないこの町にロシアは見切りをつけたのだ。

一方、石油利権のまとわりつくチェチェンはどうか。
プーチンは例えどのような抵抗に遭っても手放さないという。
道を二つに分けてしまったこのロシアの北と南の町の運命。欧州連合では、そのロシアの身勝手さに呆れつつ、だからといって表面きっては仲違いしないという。
その真意を忖度すれば、そう彼らも実は、ロシアの石油利権にあやかりたいのだ。

  ドイツが「負け組」になる日−著しい自動車王国の凋落ぶり
(経済界 2004.11.2)

英国が誇ったロールスロイスやジャガーが自動車の世界から次第に存在感が薄れ、話題性を失ったのはいつのころからだったのだろう。 恐らく第二次世界大戦後に始まって、二十世紀の幕が閉じられ二十一世紀に差し掛かったころといっていいのではなかろうか。
それかあらぬか、当時欧州ではあちらこちらで「十八世紀蒸気機関車発明とともに産業革命の口火を切った英国もいよいよ衰退か」、と陰口をたたかれたものだ。
第二次世界大戦後、戦勝国に名を連ねた英国だったが、多くの植民地を失ったうえ、産業面でも、後進国並に衰退し、取り残される羽目になったからである。

一方ドイツはどうか。
二度の世界大戦で敗戦国となり、全てを失った。
戦勝国となった英国などは二度とドイツの台頭を許すなというので、執拗なじゅうたん空爆を繰り返し、ドイツを壊滅的なまでに破壊しつくしたからである。
ところが、何と敗戦後十年も経つと早くも、ベンツやフオルクスワーゲンやオペルなどたちまち息を吹き返し、その後英国はドイツにすっかりお株と取られた形になってしまった。

その窮余の対抗策として八十年代「鉄の女」サーチャーが、英国のトップとして登場、さっそく日本に目をつけ対独自動車戦略として、日本の有数なトヨタや日産、本田を誘致して見せた。もっとも当時のドイツにとっては、この日本車攻勢など、痛くも痒くもなかった。
圧倒的な市場占有で、他国の自動車進出、とくに日本車など鼻であしらっておりライバルと思っていなかったからだ。

このドイツ自動車業界好調で、ドイツ労働組合も強気になったし、経営者がまも、組合の要求に快く応じて大盤ふるまいをして見せたものだ。
結果、ドイツは欧州一ともいうべき労働者天国環境を築き上げて、近隣欧州諸国の羨望の的になった。ところが、その自動車王国ドイツの隆盛もそう長くは続かなかった。
グローバル化に加え、一昔前まで自動車業界では後進国と嘲笑された日本、それに続く韓国の激しい追い上げ競争に太刀打ちできなくなって、近ごろうかうかしていられなくなったからだ。

今年はそのドイツ自動車業界業績不振がより顕著になっている。
ドイツ統一直後、早々にゼネラル・モーターの傘下に入り生き残りを図ったオペルがそうで、販売業績不振から、九月には、ドイツ所在の二工場のうち一工場は閉鎖すると宣言した。
これに続いて、国民車として世界の人気を集めていたフォルクスワーゲン(VW)も、このところ主要市場における販売低迷で頭を抱えている。なぜなら欧州市場で、一年前に比べ0.二%落ち込み、今年前半のシェアは一七.五%に止まった。

理由は十二.三%から十三.四%と販売成績をプラスにした日本勢台頭に押されたり、かつて五十%前後のシェア占有を誇っていた中国で、ライバル車GMの値下げ攻勢に遭って、前期一〜六月の販売台数三一万台に落ち込み、初めて前年実績を割り込んでしまったからである。
しかも主翼の北米でも中間期決算は五億三百万ユーロの赤字計上となり、全体の営業利益(特別損益除く)は半年間で九億七千九百万ユーロと前年同期と比べ、一九.八%減。ドイツ国内三万人リストラの話も急に浮上し現実のものとなりつつある。

というわけで、欧州の産業界、自動車を例に挙げるまでもなく、全業界でその地図は塗り替えられるつつある。そう、思い切った改革を断行しない限り、ドイツは確実に負け組に組み込まれる。かつての英国がそうであったように。

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