クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.25
   瀬戸際に立つシュレーダー独政権
=迫られる大胆な構造改革の断行=

 (産経新聞  2003年6月24日「正論」より転載)
  
< 日本以上に早い景気後退 >
「ドイツが日本病に罹っている。病状は日本のように真綿で首を絞めるような十年がかりの長期的な病と異なり、意外と早いテンポで進行し、下手をするとデフレ症状を起こし、日本以上に重症に陥る」と指摘し弱音を吐くドイツの政・官・財界人が近ごろいやに多くなってきた。半年前、日本病のドイツ感染が取り沙汰されたころ、ムキになって否定し、その火消しに躍起になっていたのとは大違いである。 とりわけデフレに至っては昨年ドイツはユーロ通貨導入をきっかけに便乗値上げが流行し、この現象をインフレと勘違いしたこともあってドイツがデフレ苦に悩まされるなど思いもよらなかったのだ。 さっそく欧州中央銀行(ECB)は、今月五日、このデフレ予防のため、先手を打って、政策金利の引き下げに着手、年二%にすると発表した。ちなみにこの金利引下げは九九年一月ユーロ導入後ばかりか、戦後ドイツでは初の歴史的最低利下げ率になる。理由はユーロ圏経済の牽引車としてその三分の一をカバーしているドイツ景気の低迷に対するてこ入れである。事実ドイツ景気はこのところ欧州の経済劣等生とまで陰口をたたかれるほどかんばしくない。イラク戦争後、米景気に対する先行き不透明感からドル売りユーロ高が急激に進んでいること、原油高による輸入増で外貨が落ちこんていること、テロ続発や突如発生した新型肺炎の影響で個人消費にブレーキが掛かっていることなど、ドイツ経済の足を引っ張る材料が山積しているからだ。

< 強まる国民の愛想尽かし >
もっとも、このドイツ経済後退だが今に始まったことではなく自業自得と指摘する専門家もいる。九八年九月の総選挙で、十六年間にわたるコール政権に終止符が打たれ、シュレーダー政権成立と同時に、緑の党との連立を宣言したことで、内外に「ドイツに反企業体制政権が確立した」とのマイナス警鐘が打ち鳴らされ、企業間にたちまち警戒ムードが広がり、投資熱にブレーキが掛かったからだ。確かに、その後のシュレーダー政権は、事あるごとに企業家意欲を殺ぐ政策に着手してきた。環境面重視という理想に走る余り、原発廃止に踏み切ったのはまさにその典型的な例といえよう。 結果、企業家の不信を買って、企業の空洞化はむろん企業縮小、はては倒産が相次ぎ、かつてない戦後最悪の失業者を抱え込んでしまった。それだけではない。その都度、この問題解決を先送りしてきたために、国民から、「今に見ていろ、選挙で片をつける」と愛想を尽かされ、昨年九月の総選挙では、ほぼシュレーダー政権下ろしは間違いなしとまでいわれたものだ。その予測を見事に裏切った出来事が選挙直前に発生した百年に一度の旧東独大洪水である。シュレーダーは即刻、現政権の強みを生かし大掛かりな救済に乗り出した。これだけでは不十分と判断し、ついでにブッシュ大統領の怒りを買うことを百も承知でイラク戦争反対キャンペーンまで張り、シュレーダー二期政権を成立させた。 

< 労組の壁突破は至難の業 >
もっとも彼、首相の座に就き、ドイツの台所に足を踏み入れて腰を抜かさんばかりに驚いている。何と国、州、市町村の台所は火の車だったのだ。景気低迷で大幅な税収不足となり、これまで聖域とされてきた社会福祉にメスを入れ大胆な構造改革を断行しないことには国は成り立たない。そのことが分かったのだ。そこでシュレーダーは戦後右肩上がりの高度成長で勝ち取った手厚い社会福祉に決別するべく、大胆な「福祉切り構造改革案」を先ず社民党員に提示し承認させて見せた。だが、この決定はまだ入り口にさしかかったばかりである。社民党の背後には今も古い階級闘争イデオロギーの殻に閉じこもって既得権益を失うまいと守備に準じる労働組合の厚い壁が立ちはだかっているからだ。その壁を突破するのは至難の技ではない。なぜなら日本の改革を阻む族議員の壁とは比較にならないほど固いからである。だがどうだろう。第二次世界大戦後、敗戦国日本とドイツはその後まもなく経済大国として頭角を現わした。あの廃墟の中から見事に立ち上がり、経済大国として世界に君臨することになった西の横綱ドイツと東の横綱日本! グローバル化という名のデフレが迫っているからといって怖気ずいてひるんでいるほどひ弱ではない。今、日独両国民に必要なのは、この険しい断崖をいかにうまく切りぬいて見せるかその強靭なパワーであり、このパワーを縦横無尽に駆使し、必ずやこの難関を克服してみせるという揺ぎない信念ではなかろうか。

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