クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.27
   
外務省は公邸を飾り立てている場合か
−「社交」を「外交」と心得る愚かさ

 (産経新聞  2003年8月16日「正論」より転載)
  

 < 不況どこ吹く風の外務省 >

マンハッタンの由緒ある邸宅を日本政府が買い取り、改築したニューヨーク国連大使公邸。購入価格と工事費は合わせて約三六億円だったそうだ。サロンには、木彫りの彫刻が施された高い天井や大理石の暖炉などがあり、二十世紀初頭の米国大邸宅の風格が漂う豪華ムード。原口幸市国連大使は「日本は二00五年の安保理非常任理事国として立候補する予定で、外交の場として多いに活用できる」と八月一日、公邸公開に当たって日本の報道陣に語っている。  

バブル崩壊後、不況の嵐は一向に収まらず、税収不足もあって各省庁ともに大幅な節約を強いられているなか、外務省の世界だけは別らしい。未だに国連の本拠地という名目のもと、外交とは大勢の人間をご招待申し上げ談笑の場としてサロン的雰囲気を盛り上げる、その華やかさを正当化し憚らないというのだから。これが日本を代表する国連大使かと思うと情けなくなる。  

少なくとも、ドイツを初め他の国では公邸はサロンというよりむしろ、目は笑っているものの、その実本国でみっちりスパイ教育を受けた工作員が密かに本領を発揮する情報収集の場と心得ている。結果、その延長線上にある国連の舞台においていかに自国を有利かつ高く売り込むかに奔走する。日本が抱く国連=平和シンボルのイメージとはちと違うのである。


< 他国外交は熾烈な情報戦 >   

そういう意味ではドイツはこの国連を最も効率的に活用した国の一つに挙げられよう。そのドイツが東西ドイツ同時国連加盟を果したのは一九七三年。一七年後の九0年、念願の統一を達成した。その間、東西、とりわけ東ドイツの情報合戦は熾烈だった。その主な目的は西ドイツのイメージダウン喧伝工作。それが元で、西側のフランスやイギリスでさえ、ドイツ統一に水をさしたものだ。

何しろ当時東ドイツから西ドイツに約四万人もの工作員が送り込まれており、他に約一万人の東シンパ協力者が西にいたのだから。その情報収集活動は手段といい方法といい実に巧妙かつ狡猾だった。そればかりではない。この情報収集を元に、相手の弱みを突いて西からの経済支援に与るタカリ戦術にも手掛けてきた。この手口をそっくりそのまま踏襲したと見られるのが北朝鮮による一連の対日政策である。  

北朝鮮が韓国でなく日本にその矛先を向けたのは、韓国自身が既に戦前の日本による植民地政策を理由に反日色を剥き出しにしてきたこと。日本が世界に類を見ないカネの鳴る木の国だったこと、その上日本が戦後の徹底した平和教育のせいで、国民の多くが危機管理に鈍感な上、臆病になっており、容易に脅しが効くと睨んだからに違いない。事実、この日本恫喝作戦は、少なくとも昨年の小泉訪朝直前までは成果を挙げてきた。 国交正常化を契機に「河野談話」にみられる迎合外交が常習化し、多額の金銭やコメ支援に手掛けてきたからだ。  

ちなみに北朝鮮が国連に加盟したのは一九九一年、韓国と同時加盟だった。そのちょうど十一年後に小泉総理訪朝が実現し、事態は思わぬ方向へと展開しはじめた。北が拉致事件を公式に認めたことで、日本にとって初めて有利に事が運びはじめたからである。近く開催される六者会談はしに際一歩といっていい。もっとも進捗状況はドイツが「ベルリンの壁」崩壊後一年内に統一を達成したのと異なり、牛の歩みに似て歯がゆいばかりである。 一体その違いは何によるのだろうか。  

日本では,大使館など在外公館の職員の多くは,国益を前提とした熾烈な情報収集戦に見を挺するというよりは,公邸をサロンに優雅なパーテイに興じていさえすれば、外交は勤まると思いこんでいるかれではなかろうか。


< 情報機関の創設に本腰を  >

九七年、ペルーで発生した日本大使公邸人質事件がまさにその象徴的事件だった。豪華大パーテイのスキをまんまと突かれ、ゲリラの襲撃になすすべもなかったからだ。  

北朝鮮による一連の恫喝,翻弄外交もその類である。北はスパイ能力に長けた外交官を一堂に揃え交渉に臨むのに,日本にその発想はない。従って彼らの手の平の上で踊らされてしまうのである。このような情報収集能力が欠落した日本外交の現状を目の当りににすると、いくら器が立派でも一体何のための,誰のための外交なのかと思う。もっとも外交官にその能力がないというのなら仕方がない。ここは一つ日本政府たるもの、思い切って情報機関立ち上げに本腰を入れるほかあるまい。

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