クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.32
   
「テロのトラウマから抜け出せぬ日本
−平壌出迎え提案は北の常套手段―」

 (産経新聞  2004年1月16日「正論」より転載)
  

≪対照的だった日独の対応≫

 古傷に触れるようで申し訳ないのだが、あえて当時十三歳だった横田めぐみさんが、下校の途中北朝鮮の工作員に拉致された一九七七年という年を振り返ってみようと思う。
 この事件が発生したのは十一月一五日である。直前、偶然とはいえ日独両国で国を動転させる二つの大事件に直面している。
 一つは九月二八日のダッカ事件で、乗客・乗務員151人を乗せたパリ発東京行きの日航機が日本赤軍によって乗っ取られた事件。今一つは十月十三日西ドイツでも約八十人を乗せたモロッコ発フランクフルト行のルフトハンザ機がドイツ赤軍によってハイジャックされ人質に取られた事件である。
 その解決策が対照的で興味深い。日本では「人命は地球より重い」と「超法規的措置」で彼らの釈放条件を全面的に呑み、在監・拘留中だった赤軍派メンバーら6人を釈放したばかりか、身代金六百万ドルを支払った。
 これに対して西ドイツは「テロに屈服するようでは国家の資格なし」として全ての要求を突っぱねてしまったばかりか、現地に閣僚の一人を派遣して巧みな交渉にあたらせるとともに、特殊部隊を送り込み、機を見て急襲、犯人全員を射殺し、無事人質を救出してみせた。
 あれから既に四分の一世紀が経つ。その間日本では横田めぐみさんを含む八人の行方不明者の消息はもちろんのこと、一昨年十月一五日、帰国した五人の拉致被害者家族が現地で残してきた家族の帰国すらめどがついていず、膠着状態のまま一向に進捗をみていない。  
 一方ドイツは東西ドイツ分断時代を含め、拉致被害事例は枚挙にいとまがなかったものの、その都度、国を挙げて救出してきた。昨年一年を顧みても、拉致事件はアルジェリアとイランで二件発生したが、いずれも救出に成功している。そのルーツが実は一九七七年の日独によるテロ対策の違いにあるのは歴然としている。

≪北の典型的揺さぶり作戦≫
 今回拉致被害者家族の帰国を巡って急浮上したきた平沢勝栄・拉致議連事務局長らを通じた北朝鮮による「平壌空港出迎え」提案がまさにそうだ。平沢しの真意を忖度すれば、何としてでもこの事件を解決しようという使命感にあるのは間違いないだろうが、裏返せばこれまで何もしてくれなかった日本政府と外務省に対する不信感でありあてつけである。
 だが、今少し冷静になって考えてみると、これは明らかに北朝鮮による対日揺さぶり工作であり、これこそ美味しそうなえさを付けた釣り糸をあちこちに垂らし、それに食いつく愚かな魚を嘲笑しつつ釣り上げる典型的な北朝鮮作戦でなくて何であろう。日本は今またそのワナにはめられかけている.そんな気がしてならない。
 米国は9・11事件以後、「悪の枢軸」退治にイラク戦争も辞さずという決意を固めた。結果「北風政策」作戦により昨年末には、イラクのフセイン元大統領拘束に成功、これをきっかけに、イラン然り、リビア然りで中東における大量破壊兵器問題では、白旗が掲げられる雪崩現象が起きている。これまでこれらの国と一枚岩になってきた北朝鮮についても袋小路に追い詰められてきている。
 その北朝鮮の切り札が日本からの経済支援を見返り要求とする、今回の拉致被害者五人の人質家族返還提案というわけである。
 しかもこれを機に、北は一方的に病死や事故死とするのみで、日本側の疑問に一切答えていない横田めぐみさんら他の拉致被害者の消息についてもうやむやにしてしまおうとしている。また次期国会で法案化が見込まれる経済制裁法についても葬ろうと画策している。

≪禍根断てずは国は滅びる≫
 その狡猾な北朝鮮工作にあれだけ政府や外務省に対して「毅然として」とか「屈するな」とかハッパをかけてきた国会議員や支援者が引っかかりはじめているとしたら、実に情けないことだ。
 国家観の喪失ゆえか、民を愛するリーダーの政治理念の欠如ゆえか、それとも原点を見失った民の結束不足によるものなのか。これほどまでに国の威信を傷つけた事件に遭遇しながら、日本は今もその四半世紀前の禍根を引きずったまま迷走している。これでは国は滅びる。
 そうならないために、そう、今年は一刻も早くこの腰抜けトラウマから脱却し、凛とした国を築き挙げることだ。恐らく北朝鮮外交はその突破口にになると思う。またぜひそうしたいものである。

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