クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.42
   
読者の信失った新聞の末路とは
― 誠実に事実を積み上げる大切さ ―


 (産経新聞  2005年2月22日「正論」より転載)
  
≪時代の流れを読み間違う≫ 
 
新聞という活字メデイアが時代の流れを読み間違えると、どういう結果を招くか。NHK特番放映をめぐり政治家の政治介入があったとする朝日新聞のあいまいな報道ではないが、新聞界のみならず読者の信頼を著しく傷つけることになる。 ドイツでは、読者離れを招き一気に経営難に陥ってしまったケースもある。 全国紙」フランクフルター・ルンドシャウ」紙(以下ルンドシャウ)の辿った運命はまさにそうだった。
 
 左派系の有力紙として、一時は保守系、リベラル系を凌ぐ勢いにあったルンドシャウだが、 ここ数年で、急速に経営が悪化。 社員の半数を解雇して再起を図ったが回復に至らず、昨春、ついに新聞本来の「不偏不党」をかなぐり捨て、社民党傘下で子会社化される悲惨な状況におかれてしまったからである。 

 ルンドシャウは大衆路線で読者を獲得してきたが、労働組合を最大の支持基盤とするだけにイデオロギー色が強い新聞でもあった。飛躍的に部数を伸ばしたのは1968年で、 ヴェトナム戦争反対運動に触発され、各地の大学で学生運動が活発化したころである。 政界では、アデナウアーのキリスト教民主・社会同盟政権から、ブラント率いる社民党政権へとバトンタッチされる過渡期にあたる。 

 ルンドシャウは当然ながら後者・社民党のサポーターであり、アデナウアー政権に飽きた学生たちは政権交代を鼓舞する記事に魅せられ、先を争って購読したものだった。その後社民党政権はコール保守政権へと変わったが、98年には再度シュレーダー社民党政権が成立する。 シュレーダー首相やフイッシャー外相も、かつての学生運動世代ではあるが、このころには事態は一変していた。 
 社民党政権といえど、ベルリンの壁崩壊以降の大きな変化の中で、かつてのような旧態依然の社会主義イデオロギーはすっかり陰をひそめていたからである。


≪不況とネットが追い打ち≫ 

 加えて右肩上がりの高度成長にすっかり過去のものとなり、戦後最大の失業者500万人時代に突入したことで、労働者の権利のみを説いても、読者はそっぽを向くようになった。 なにより不況の波は新聞業界にも容赦なく襲いかかっている。 ドイツ経済そのものの低迷に加え、インターネットという強敵の出現は、新たなメデイアの登場という側面にとどまらず、新聞の広告収入をも激減させる要因となっている。

  ドイツの新聞広告の特徴は、企業の商品宣伝より、 むしろ人材募集やアパート探し、さらには中古車の個人売買、乳母車など不要品交換といった生活密着型情報を有料で掲載することによる収入が大半を占める。 かつては金曜日や土曜日の新聞ともなると、記事掲載のページよりも広告掲載ページの方が部厚く、店頭でも発売と同時に完売という光景は珍しくなかった。ルンドシャウは、実はこうした個人を中心とした広告掲載や情報提供を媒体として巧みにとりいれ、部数拡張に務めてきた新聞である。 インターネットの登場は、こうした広告収入を根こそぎ奪ってしまったのである。


≪『使命』とは何か問い直せ≫

 もちろん、こうした厳しい新聞不況の時代にあっても、懸命に生き残りを図り、読者や広告主の信用を維持している新聞もある。 他紙とは一味違う深い見識ある切り口でコメントや社説を掲載する「フランクフルター・アレゲマイネ」、左系ではあるが、現政権とは一線を画し、政界の暴露記事一つとってみても、取材手法が緻密かつ正確でと定評のある「南ドイツ新聞」がそうだ。 

 ドイツの新聞は全国紙といえどに、発行部数はせいぜい20〜30万部と小規模であるが、工夫を凝らしながらも、新聞としての「使命」を全うすることで、根強い支持を得ている。
 ではその新聞の「使命」とは何かであるが、些細な記事であれ、誠実さを失うことなく地道に事実の発掘に努め、真実に迫ることのほかならない。功を焦る余り勇み足で読者を混乱させるなどもってのほかである。

  日本でも昨今、一部の新聞ながら、その傾向が顕著になりつつあるのは気掛かりなことだ。 その意味で、ときに逆風に立ちながらも自由の擁護を「使命」とし続ける産経新聞の存在意義は大きい。
 日本の新聞界も激しい淘汰の時代を迎えているように思う。ここは謙虚に過去を振り返り、新聞の「使命」とは何かを改めてとらえ直してもることだろう。。新聞の衰退に繋がらないためにも…・ 。 そう念じるのは私だけであろうか。

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