クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.44
   
 対中外交で無視できぬ法王庁の存在

― 中国には誤算の国際世論の反応 ―


 (産経新聞  2005年5月15日「正論」より転載)
  
≪前法王の踏襲継承鮮明に≫

恐らく多くのドイツ人は「そうなればいいがなあ」と念願しつつ、半ば諦めていたのではなかろうか。そこへいきなりドイツ出身の法王が選出されたニュースが飛び込んできたのだから、逆に戸惑ってしまった。 かくいう私もそうだった。
当日、ある親睦会に出席したところ顔見知りの数人が「ラッツインガー、ラッツインガー」と口々に言い興奮している。何だろうと尋ねたところ、彼が法王に選出されたという。
「え、ホント? まさか? 誤報じゃないわよね」「いや、今,確かめたから、間違いない」。 

前法王ヨハネス・パウロ二世の盛大な葬儀が行われたのは四月八日だった。その十日後の十八日から一一五人の枢機卿による法王選出選挙が始まり、二日目の夕方、新法王ベネデクト一六世が誕生した。早速新法王は初のミサで、「尊敬すべき歴代の法王と同様、他の文明との対話を継続するためあらゆる努力を惜しまない」と述べ、宗教、政治を超えて世界と積極的に関わったヨハネ・パウロ二世の路線継承を鮮明にした。

実は私はこの時、中国政府はあの官製としか思えない「反日デモ」にブレーキを掛けるだろうなと思ったのである。
理由は後述するが、果たして翌日から「反日デモを引き起こした責任は日本側にある」と理由にならない言い訳をしながらも、事実上のデモ禁止令を出し、各地に厳戒態勢を敷き始めた。


≪葬儀欠席も北京には裏目≫

中国政府にすれば、今回はのデモは政府承認の反日デモとはいえ、天安門事件と同様、いつ反政府暴動に転じるか気掛かりで仕方がなかったのだろう。だが、それだけではない。当地ドイツでは、今回の中国政府の措置は、国際社会、とりわけ宗教界の動向に配慮したものと観測しているからだ。

しかしそれにしても、なぜ今、反日デモなのか。 
答えは小泉首相の靖国参拝や扶桑社の新しい教科書問題を槍玉に、日本をマイナスイメージで世界に喧伝しようと画策したためとの見方がただしいように思う。

理由の一つは、「反国家分裂法」に対する国際的な対中非難を巧みにかわそうとしたこと。二つ目としては、日本の国連安全保障理事会常任理事国入りを阻止する狙いがあった。 

時期的にもタイムリーだった。 
ドイツ各地では、頻繁に、第二次大戦のナチスからの解放六〇周年犠牲者追悼記念式典が開催されていた。これに乗じて、「ドイツは素直に謝っているのに日本は謝らない」というプロパガンダを世界に流布すれば、日本は必ずや非難の矢面に立たされ孤立するはずで、そうなれば当初のもくろみは達成されると考えたのだろう。

だが事はそう簡単に運ばなかった。
ちょうどこの頃、バチカンでは前法王の葬儀と新法王の就任という世紀の式典が行われたのだが、中国は「反国家分裂法」の標的となった台湾の陳水扁総統の参列を理由に自らの参列を拒否した。しかも葬儀当日、偶然とはいえチベットのダライ・ラマが来日し、これに、中国はの猛烈な反発を繰り返したことも世界に報じられた。

皮肉なことにこのことが世界の宗教関係者、とりわけカトリック教信者に、中国はにおける熾烈な宗教弾圧と悲惨な人権侵害をあらためて想起させてしまったのである。
中国政府にしてみれば、せっかく日本の歴史認識を理由に、反日デモを仕掛け、国際世論を自らの側に取り込もうとしたのに裏目に出る結果となった。


≪信教自由化も優先課題に≫

何よりも新法王は前法王との二人三脚で、全体主義イデオロギーと一線を画し、旧ソ連の隷属下にあった前方法の故国ポーランドをはじめとする東欧諸国の解放に渾身の力を注いできた人物である。
そういえば、前法王の唯一の心残りは、クリスチャンにとどまらず中国の宗教者の救済にあった。
前法王は、生前、何度も訪中を試みながら、中国政府の拒絶にあい断念したことを後悔していた。
新法王はその前法王の遺志をしっかり引き継いでいる。
新法王の優先課題の一つに、中国における信教の完全自由化があるのは間違いない。

だとすれば、日中関係を考えるうえでも、今後好むと好まざるとに関わらず、バチカンの中国政策は重要な意味を持つことになる。
その日本の対中外交がバチカン外交と足並みが揃わないでは、近い将来必ず取り返しのつかないことになろう。
はるか彼方のミニ国家バチカンの政策だからと軽んじてはならない。むしろ日本はこの機会にバチカンと密接な外交関係を築き、そのノウハウを積極的に取り入れるべきではなかろうか。

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