クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.48
   
 情報戦略なき日本の危機意識欠如   
-急がれる情報担当官の海外配備-


 (産経新聞  2005年11月14日「正論」より転載)
  

≪舌を巻く近隣諸国の演出≫

 中国を含め、韓国、北朝鮮が、いかに海外宣伝という名の情報戦にたけているか、その典型的な事例を最近の出来事から指摘してみたい。
 一つは、北京で約一年ぶりに日朝政府間対話が再開された十一月三日、二年前に北への亡命後、帰国を求めていた日本人女性を、北朝鮮が急遽(きゅうきょ)送還したことである。
 
実はこの前日、EU(欧州連合)は日米両国とともに、北朝鮮に対する人権非難決議案を国連総会に提出しているが、その途端の出国許可である。当の女性は、「北朝鮮政府から人道的にしてもらい、何不自由なく過ごせた」と語り、平壌放送は「人道主義の見地から送還措置を取った」と伝えた。さも北朝鮮は、人権に腐心していると言わんばかりの演出である。

 いま一つは十月十七日、小泉総理が靖国神社を参拝した折、ドイツで日本批判が噴出したことである。なぜドイツが、と訝(いぶか)る向きもあったろうが、これには訳がある。
 
この時期、ドイツのフランクフルトでは国際書籍見本市が開催中で、今年は韓国がゲスト国として招かれていた。韓国は百五十万ユーロ(約二億一千万円)を投じ、自国の文化紹介で成果を挙げたが、ひときわ目を引いたのは、小泉総理の参拝翌日に開催されたオープニング・セレモニー席上での、李海●・韓国首相の痛烈な日本批判であった。

 「ベルリンの壁」による東西分断を経験したドイツだけに、同じ冷戦の犠牲となった南北朝鮮の悲劇は関心を引かぬはずがない。しかも、世界各国から自著の宣伝も兼ね、著名な文化人や政治家が数多く参加していたから効果はてきめんで、多くのドイツメディアが、この日本批判を取り上げるところとなった。
 
さらに十一月七日には、国連人権委員会の特別報告が日本の在日朝鮮・韓国人への差別問題や同和問題にも言及したことを受け、中国、韓国、北朝鮮の各代表が国連の場で、こぞって日本批判の大合唱を展開、さも日本が差別大国でもあるかのような印象づくりを行っている。
 
 それにしても、手法はともかく、この巧みな両国の海外宣伝戦略には舌を巻く。


≪翻弄される「情けない国」≫

 一方、日本はどうであろうか。確固とした情報戦略などあるやなしやの状態で、海外向けに自国のPRを行うことすら、なぜか及び腰だ。
 
在外公館をはじめ海外出先機関の重要な任務の一つは、徹底的な専門教育を受けた優秀な情報担当官(あえてスパイと言ってもよいが)による現地での情報収集活動にある。ところが、こうした活動は、わが国の場合なぜか機能してこなかった。
 
誹謗(ひぼう)中傷、あるいは明らかに捏造(ねつぞう)と思われる情報であれ、他国は日頃から丹念に収集・分析し、いざというときの“切り札”に保管している。
出先機関が現地の政治にも深く関与すべく動き、時と場合によって、クーデターにだって手を貸すこともある。それが世界の現実なのである。
 もしも日本が、こうした危機管理術、情報収集能力にたけていたらどうだったか。
少なくとも、拉致被害者の横田めぐみさんらは、とっくに奪還されていたに違いない。

 これまで、その危機管理、いうなれば現地における情報活動や海外宣伝活動をなおざりにしてきたために、日本はいまだに北朝鮮から翻弄(ほんろう)され続けている。世界の多くの国は、日本を危機管理が欠落した「情けない国」とみているのではないか。

 報道によれば、遅まきながらも外務省は、対外情報収集の能力強化を図るため、在外公館での情報収集活動に専念する「情報担当官」を来年度に新設する方針を固めたという。向こう五年間で百人という配備体制が十分かどうかは別として、英断ではある。日本も、ようやく認識を新たにしたかと拍手を送りたい。


≪問題は人材の発掘と育成

 もっとも、箱は用意したものの、後れを取り戻すに急なあまり、中身がお粗末というのでは元も子もない。この新たな態勢を機能させる上で重要なのは、いうまでもなく優れた人材の発掘であり、育成だ。情報担当官に必要不可欠な資質は、何をさておいても愛国心に裏打ちされた、いかなる危機的境遇にも怯(ひる)まない強靭(きょうじん)な信念である。

 だがそれにしても、こうした人材は一体誰がどうやって発掘し、育てていくかだ。
戦後六十年、平和とは命を懸けて戦いとるものだという原点をきれいさっぱり忘れ去り、「水と安全はタダ」という能天気な思想にどっぷり浸りきってきた日本人である。その辺は気掛かりでならない。単なる取り越し苦労であればいいのだが。

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