クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol. 5
特攻隊精神とテロリスト    

 九月十一日のアメリカ本土、ニューヨークとワシントンを襲った同時多発テロには、おったまげた。とくに天をも突き抜ぬかんばかりの高層ビル「ワールド・トレード・センター」のあっけない崩落には、しばしあっけにとられてしまった。と同時に拍子抜けしてしまった。「なあんだ。あのアメリカの繁栄なんて、所詮あの程度のものだったのか、摩天楼ニューヨークだなんて、ニューヨークっ子は自慢していたけど、いざとなれば、こんなもろいものだった」と思ったからだ。

これは私でなくても、あの崩落の様子をテレビで見ていたかかなりの人が持った感想だったにちがいない。事実あの事件二日後、日本へ里帰りする途中、機内で隣り合わせになったあるオーストリアの経済学者は、「第二次世界大戦後、世界は政治・経済・とりわけ安全保障面で、アメリカには勝てっこないと思いこんでいたからね。あの事件で、今後はこのアメリカ=世界一観、少しずつ崩れていくと思うよ」と話していた。

 それだけに、アメリカはこの汚名と屈辱を何としてでも返上しなければと、ブッシュ大統領以下、国民の大半が、復讐を誓って、事件の主謀者オサマ・ビンラビン生け捕りに躍起になっている。

 さっそくアメリカは主犯の隠れ住むアフガン攻撃を開始するため、テロ発生一カ月にしてアフガン空爆を開始、その二週間後には現地に特殊地上部隊を送りこんで見せた。その手際の良さには舌を巻いてしまう。
 日本のように戦後ひたすら平和ボケ国家であることに甘んじ、平和に浸りきってきた国のリーダーや国民には、逆立ちしたって、真似のできない芸当である。
 もっとも今回のあのテログループによる米本土攻撃だけれど、よくよく見るとどうもこの手口、第二次世界大戦末期の日本の特攻隊にそのお手本があるような気がしてならない。 

 ご承知のように、日本はあの大戦では、最後原爆投下という形で、惨めな負け方をしてからというもの、「戦争」なるものには一切触れないようにしてきた。、日本から「戦う」という文字が消えてしまったのだ。当然特攻という日本特有の犠牲的精神もタブー視され、抹消されてしまった。

 ところがあにはからんや、この日本の特攻精神がいつのころからか、アラブ世界、とりわけイスラム教過激派の手にわたり、中東で生き続けていたのである。 
 
これには理由がある。一九六〇年代末から、世界的規模で雨後のたけのこのように過激派グループが名乗りをあげ、世界各地で同時多発テロを引き起こしている。日本でも「赤軍」がその一端をにない、各地で、資金集めと称して銀行や郵便局を襲撃し世の中を震撼とさせた。その「日本赤軍」の一部が中東に流れていったのだ。

 「実はその日本の『赤軍』のメンバーが中東の過激派グループに教え伝えたのがこの特攻精神だった」と、これはある時期ドイツのテログループを取材していて、接近したアラブ系学生の一人から聞いた。
 
  そういえば、今回の米同時多発テロにおける主犯はドイツのハンブルグ工科大学に留学生していた。フランクフルトにはそのタリバンのアジトがあって、中東の義勇兵グループ「アルカイーダ」の一味が出入りしている。あの目まで隠したチャンドラを着て町を歩いている女性を目撃したこともある。今回のテロ事件では、ドイツ警察は直ちにこのアジトを急襲している。残念ながら、時すでに遅くモヌケの殻だったのだが。

 私はテロには断固反対である。だからテロ根絶のために世界が連帯して戦うことには賛成である。けれどもあの一連の同時多発テロで散っていった中東の青年たちを思うとき、なぜか半世紀前の日本の特攻隊と重なってしまう。復讐に燃えて、じりじりと彼らテロリストを追い詰め包囲していくアメリカを見ていると、ちょうど半世紀前の日本がそれと同じ状況におかれていたような気がしてならないからだ。

 アメリカの主張する正義が「絶対的」としてまかり通り、世界もまたそのアメリカに肩入れしている現時点ではそれも止むを得ない。とはいえ、そのアメリカの正義にあえて逆らい、日本の特攻精神に殉じて、あたら命を落とした若いテロリストたちに思うとき、ふと、当時の日本の特攻隊に思い起こし、キュッと胸に痛みを感じることがある。


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