クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.52
   
 国際情勢が読めぬ日本外交の稚拙さ   
-毅然と対さず譲歩と妥協はなし-


 (産経新聞  2006年6月17日「正論」より転載)
  

≪内政干渉の原因は日本に≫

 インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙などが最近報じたところによると、またもや中国における日本製品の大がかりな偽造集団の存在が発覚した。狙われたのはNECで、同社製品の海賊版製造・販売にとどまらず、下請け工場との契約までNEC名を騙(かた)るなど会社組織を丸ごと「偽造」する信じ難い手口だったという。

 中国における日本企業に対する知的財産権の侵害はエスカレートするばかりだ。それなのに日本の経済界は今回の問題には一切触れず、逆に経済同友会などは首相の靖国参拝に関し、中国に擦り寄るかのように再考を求める提言まで行っている。

 日本経団連の御手洗冨士夫会長が、ようやく小泉首相の靖国参拝について、「適切な判断」と修正したものの、これでは「大儀なき日本人」と嘲笑(ちょうしょう)されても仕方がない。中国が精力的に親中と目される日本の政界や財界の有力者に働きかけ、執拗(しつよう)に理不尽な内政干渉を展開するのも、すべて原因は日本側にある。

 一方、ドイツのメルケル首相が中国を初訪問し、胡錦濤国家主席らと会談したのは5月中旬のことである。訪中の主な目的は2つ。1つは知的財産権の侵害問題に関し、その重要性を指摘し早急に善処を求めたことであった。

 中国に進出するドイツ企業も、約7割が違法コピーの被害に遭っており、被害額は年間250億ユーロにも達している。その上、中国は合弁の名の下に最新技術の移転を義務づけるのが常で、最近のリニアモーターカー輸出にあたっても、先端技術が中国側に漏洩(ろうえい)した疑いがもたれている。

 メルケル首相は、訪中に被害企業の代表者を同行させて暗黙の圧力をかけ、偽造メーカーの見本市からの締め出しや不法企業の摘発に関する法規の整備などを要求し、中国側と合意している。また、中国が今後も問題を放置するなら、欧州連合(EU)としての対策が不可欠になるとクギを刺すことも忘れなかった。


≪訪中にバチカンと連携も≫ 

 今1つは、中国滞在中にメルケル首相は、北京のドイツ大使館で人権活動家と、また、上海の教会では27年もの間、投獄・強制労働・監禁を受けてきたバチカン承認の中国人司教と面談したことだ。

 日本政府なら考えもつかない大胆な行動であろう。首相自身、旧東独の出身で、かつては極度に自由を規制された特殊な環境に身をおいた経歴を持つ。そのこともこうした会談を設定する動機となったようだ。

 もちろん、背景にはバチカン法王庁の存在が見落とせない。ドイツ出身の現ローマ法王ベネディクト16世は最近、中国政府公認の「天主教(カトリック)愛国協会」が法王庁の反対を押し切って、独自に司教を任命したことを良しとせず、破門にしている。

 かつてバチカンは、ポーランド出身のヨハネ・パウロ2世を法王に選出して、東欧の民主化運動を側面支援し、これがやがて「ベルリンの壁」崩壊の引き金ともなった。現法王もまた前法王の側近として、旧ソ連・東欧の共産主義独裁体制の崩壊に手を貸してきた仕掛け人の1人である。

 政治・経済、軍事すべての面で覇権の拡大を進める中国に対する国際社会の目は、一段と厳しさを増している。その中にあって、今回のメルケル氏の行動、とくに司教との面談を、バチカンによる中国の民主化促進の本格化と重ねる見方もある。

 中国政府もまた、バチカンの動きに最大の注意を払い、見守っている。メルケル首相自身、バチカンと事前の連携があったかどうかは別として、少なくともバチカンの動きを十分に読んだ上での訪中であったのは間違いない。中国側がメルケル氏の行動に不快感を示しながらも“黙認”せざるを得なかった理由はここにありそうだ。


≪主張があってこその国益≫

 一方の日本はどうか。どうも日本は、こうした国際情勢の把握や判断が拙劣というか下手である。知ってか知らずか、常に中国側にスキを与えて振り回されている。

 いうまでもなく、日本は自由と民主主義に依って立ち、個々人のアイデンティティーを大切にする国である。中国のように信仰や思想の自由が制限され、人権抑圧が横行する一党独裁の国とは国家としての価値観でも一線を画している。だからこそ、言うべきことはきちんと相手に伝えなければ国益も守れない。

 中国側も、そうであってはじめて日本を一人前の相手として扱うことになる。対等外交のイロハとは、まず豊富な情報をもとに相手と対することにある。譲歩や妥協はそのあとに続くものであろう。

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