クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.60
   
 北京五輪と中国のしたたかさ


 (産経新聞  2008年8月5日「正論」より転載)
  

 ≪成功にメンツをかける≫

 いよいよ北京五輪が始まる。2008年8月8日午後8時8分のスタートという、いかに中国の好きな「8」の数字とはいえ、よくもまあこれだけ並べたものである。

 アジアでは東京、ソウルに次いで3回目の開催だが、開幕を控えてチベット問題、四川大地震、日本との毒ギョーザ問題と思いがけない災難がふって湧(わ)いたように起こったこともあり、中国としては面子(メンツ)に掛けても成功裏に大会を済ませたいところだろう。

 東京五輪が開催された1964年、私は「国際オリンピック委員会」関係の事務所が設けられた東京の帝国ホテルに勤務していた。選手や事務方の役員を助ける外国語にたけたコンパニオンがロビーを闊歩(かっぽ)しており、その一人が巨人の長嶋茂雄選手と婚約し話題をさらうなど、五輪会場とはまた一味違う裏方のムードを満喫していた。

 国内では池田勇人内閣のころで、確か、彼は10月の五輪終了の翌日、喉頭(こうとう)がんのため辞意を表明し、佐藤栄作氏に首相の座をバトンタッチしている。

 国際社会に目を向けると、開催中の10月15日、スターリン死後の旧ソ連で「雪どけ」の外交を推進していたフルシチョフ氏がライバルによる追い落としに遭い、突如権力の座から失脚した。

 ≪東京五輪最中に原爆実験≫

 ところが何と、その翌16日、中国は初の原爆実験に成功しているのである。まるで東京五輪を狙い撃ちするかのようだった。

 日本はといえば、五輪一色に染まっていた。あれほど盛り上がった60年日米安保反対闘争もまるでうそのように収まり、五輪開催の直前の東海道新幹線運行開始で高度成長のアクセルを踏み、経済大国への道をまっしぐらに突進していた。

 中国はそんな日本を尻目に、実にタイムリーに核兵器保有国として国際社会にデビューしてみせたのだ。それにしても中国という国はなんと抜け目のない国かと思う。今回の北京五輪への過程をみても、「転んでもただでは起きない」、その逞(たくま)しさには舌を巻いてしまう。

 さらに中国の歴史を振り返れば、1972年にはニクソン米大統領の電撃訪中を実現している。スターリン時代からギクシャクしはじめた中ソ関係だったが、フルシチョフ時代の1959年、ソ連が原爆供与に関する中ソ間新技術協定を破棄したことで関係がさらに悪化し、外交の舵(かじ)を切り替えたのだ。

 中国の真意は米国との国交正常化により、次のステップで日本との国交再開を期待していたようだった。

 案の定、日中両国は間もなく日中共同声明によって新たな段階に進み、以来、日本はODA(政府開発援助)という名の下に巨額の対中支援を行ってきた。

 経済大国を目指していた日本は、のめり込むように中国に傾斜する。中国にとっては底抜けのお人よしな国と映ったに違いない。何しろ脅したり、なだめすかしたり、時にはお世辞を言うだけで、まるで催眠術に掛かったように従順に中国の言い分を聞いてくれたのだから。

 ≪洞爺湖も米中クッション≫

 日本のこの姿勢は米国に対しても基本的に変わっていない。今回の北海道洞爺湖サミットが米中のクッション代わりに利用されたのが何よりもの証拠だ。

 胡錦濤とブッシュの会談は、日本の抱える拉致事件などそっちのけで、北朝鮮とイランの核問題に終始し、協力強化を確認し合った。

 ブッシュ政権はよりによって、北京五輪開催中の8月11日に、北朝鮮のテロ支援国家指定解除の可否を決める期限を設定した。しかも去る7月24日の国際会議で北朝鮮は、東南アジア友好協力条約(TAC)に加入し、国際社会へのデビューを果たしている。

 これでは米中両国による日本外し外交と勘ぐられても仕方がない。核兵器問題ではイランと北朝鮮がリンケージしているのは周知の事実で、それゆえ西側では国連常任理事国とドイツで、東アジアでは米中露と北朝鮮・韓国、日本の6カ国で協議が続けられていたのである。

 日本がまるでカヤの外に置かれた理由は簡単で、これらの国家の中で唯一、政府直系の諜報(ちょうほう)・防諜(ぼうちょう)機関がなく、参加各国を説得するとっておきの情報を持ち合わせていないからである。

 「孫子の兵法」には「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」とある。チャーチルも「殺すより盗むがよく、盗むより、騙(だま)すがよい」という名言を残している。

 いずれも情報の重要性を説いたものだが、日本は自らの欠陥を棚に挙げ他国のせいにしている場合ではない。

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