クライン孝子の辛口コラム
ドイツからの警鐘 Vol.61
   
 「米一極」の限界を見るドイツ


 (産経新聞  2008年10月23日「正論」より転載)
  

≪「暗黒の木曜日」の記憶≫

 わが家には1923年7月25日発券の「5000万マルク」札が残っている。よく見ると札の裏は白紙である。当時のドイツが、紙幣の裏側の印刷が間に合わないほど急ピッチで貨幣価値が変わるハイパー・インフレに襲われていたからだ。

 姑(しゅうとめ)は生前、当時の様子を語っていた。「肉一切れ、肉屋で買い求めるのに、買い物カゴにお札を詰め込んで出かけたのよ」と。

 この貨幣価値の大暴落の主因は、第一次世界大戦での敗北にあった。戦勝国(連合国)はドイツに対して1919年、ヴェルサイユ条約の批准を迫り、天文学的というべき巨額の賠償金(1320億マルク)を課したのだった。

 賠償金支払期間は翌年から100年だから、2020年までである。現在に至っても、それが継続していることを忘れてはなるまい。

 敗戦で疲弊しきったドイツである。たちまち支払い不能に陥った。追い打ちをかけるように1929年、ニューヨーク発の世界金融恐慌が襲いかかる。ワイマール憲法下で議会制民主主義へと歩み始めたばかりのドイツ経済はその活路を断たれ、ヒトラーという独裁者の登場を許してしまう。そして、第二次世界大戦への突入である。

 以後、その日は「暗黒の木曜日」としてドイツ国民の記憶に留めることになる


≪自由放任の金融制度批判≫

 サブプライムローンなる米国の住宅バブルの崩壊に始まった今回の世界的な金融危機は、ドイツの国民たちに、戦前のこの暗い記憶を呼び起こすものとなった。

 9月、米国の大手証券リーマン・ブラザーズが破綻(はたん)すると、一部のドイツ国民は自分の貯金が紙切れになるのを恐れて、銀行に走った。リーマンのファンドに投資した中には、ショックで寝込んだり、入院したりする人も出る騒ぎだ。私の知人の1人は、妻に相談せずに投機に手を出し、ゼロになったことから、離婚騒動を起こしている。

金融危機以前のドイツは比較的好景気だったが、主要各国と同様、中央銀行による公的資金注入や、銀行の買収・合併劇による解決策に取り組んでいる。しかし、じりじりと不況の波が押し寄せ一般市民の生活を脅かす。この機に乗じて、共産党系の左派や過激派グループが再び、頭をもたげる兆候もみられる。

 今回の危機は、一獲千金を夢見た相場師が実体のない信用マネーに群がり、マネーゲームに狂奔したことに原因がある。起こるべくして起こった「ウォール街のカジノ化」の破綻といえる。ドイツ国民はそのことを知り尽くしているのだ。それゆえ、この金融危機を1929年の悪夢と重ね合わせることで、しきりに警鐘を鳴らしている。

 シュタインブリュック財務相は、米国の自由放任型の金融システム、ついで米英両国の金融機関が異常な高利益と巨額の報酬を得ている現状を厳しく批判した。その返す刀で「米国は世界金融体制の中で超大国の地位を失うだろう。世界の金融体制は多極化に向かう」と予告している。


≪戦後体制を見直すチャンス≫

 そのうえでドイツは危機再発防止策として、投機的な空売りの禁止ならびに、責任者とその責任所在の追及を明確にし、メスをいれるルールづくりに乗り出した。

 しかしこの真意を忖度(そんたく)すると、「ウォール街の賭博」でそのとばっちりをうけた被害国という意識が底流にある。彼らの挑発に安易に相乗りしてしまった軽率さは素直に認め反省もするが、実は、その後始末に付き合わされ、尻ぬぐいさせられることに内心辟易(へきえき)しているのだ。

 いま一つ、これは英国への言い分だが、この国は米国に追随して、いつのころからか製造業の後退を理由にモノづくりを軽視し、投機路線に舵を切り替えた。彼らの巧妙なグローバル戦術に振り回され、はげたかファンドの標的にされ苦しんだことはドイツ人の記憶に新しい。

 今回の金融危機とは、米国の一極支配体制がいよいよ終焉(しゅうえん)を迎え、多極化の時代に入るサインではないか。第二次世界大戦後、世界の超大国として幅を利かした米国の世界支配に陰りが見え始めた、とドイツ人は感じている。

 つまりこの危機は間違いなく、歴史の大きな転換点となる。だからこそドイツは、この機に、金融業界の業務を原点に戻って点検するとともに、欧州と米国との新しい関係を視野に入れた経済体制の樹立のために腐心している。

 この点は日本もよく考える必要がある。株価対策や金融機関への公的資金投入など危機対策に取り組むのはもちろん重要だが、同時に、戦後の対米依存体質を見直し、真の独立を目指すべきだ。今回のピンチは、その一大チャンスになりうるのである。

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